2015年

12月

H27.12.25(11.2事務所にて)

  二宮尊徳先生の農業の道が本物だという話をしたい。
「天地の道、親子の道、夫婦の道、農業の道」 の、農業の道をどのように解釈するか。
人間というのは食べて自分の体を養っていかなければいけない。農業や漁業がなくなると食べていけない。例えば全員がお役所勤めをするとなった場合どうなるのか。農業をする人がいなくなったら大変なことになる。中には外国から安いものを輸入すればいいと言う政治家もいたが短絡的すぎる。
身土不二という言葉がある。人間は生まれたところで採れた食べ物を食べているのが一番健康。食というのは文化であり、それをすべて外国に委ねるという短絡的なことをやってしまうと、魂まで外国に売り渡すことに他ならないのではないか。今日本は大変なことになっているが、大変なことになると理解している人は大変にはならない。これからも誰が何と言おうと発信していこうと思う。
皆が農業をやっていればそれだけで社会は成り立つ。しかし農業をやる人がいなくなれば社会は成り立たない。根本的なものが本当の法則なのだということを、農業の道といっているのだ。
経営計画書のこの文章は35歳ぐらいの時に書いたもの。少しずつ変えてはいるが基本的なことは変えていないので、より深く学びたければ二宮尊徳先生の本を紐といてみると思わぬ発見があるかもしれない。

「君子終日乾乾 人間30代は一生懸命働きなさいといわれている。そして「夕べに惕若(てきじゃく)たれば咎(とが)なし」とされている。帰宅してからきちんとその日を反省する。そうすれば悪いことはありませんよという易経のことばである。
中には突っ走るだけ突っ走って、一生懸命やっていると思う方もいるかもしれないが、決してそれは自分の身になっていない。それよりも反省することが自分の血となり肉となるための所作。反省をするという習慣をできれば若いうちに身につけてもらいたい。20代でこういうことを知って、気づいて日々やっていく人とそうでない人とでは、50代になって大きな差がでてくる。
57歳になり、周りの人を見てこの人は一日一日を大切にして生きてきたなというのがよく分かる。ぜひ反省をすることを習慣にしていただければありがたい。


H27.12.21(11.9事務所にて) 

「日々是好日~にちにちこれこうにち~」

中国の唐の時代、禅師はある日弟子たちに向かって
「過去のことはさておき、これから十五日以後は君たちにとってどういう日か」
問うた。誰ひとり答えられなかったところ、禅師は「日々是好日」と答えた。

人はいろんなことで躓いたり、落ち込んだりする。
しかし、落ち込んでも上司に怒られても、大自然は荘厳で、月は満月でよく輝くし、風は清風として我々を癒してくれる。こんな素晴らしい日はないだろう。
そういう意味で日々是好日とおっしゃった。

私は普段から「坦々と生きよ」と言っている。
坦々というのは、自分の感情の起伏を平らにしていることだ。
満月が出たり、風が吹いたりしながら自然界は動きや、宇宙の規則正しい動きは何億何十億年と続いている。そういうことを頭において生きるということが大切である。
感情の喜怒哀楽がいけないということではないが、ただ、できるだけ抑えて方向転換をし、ちょっと外に出て風に当たったり、窓を開けて満月を見たり、そういうことが生きる上で必要である。
日々是好日という言葉を見聞きするたびに、坦々として生きるということに繋がると感じている。


H27.12.21(9.7事務所にて)

朝礼時、初めの挨拶がそろっている。先月まではそろっていなかった。一人一人が気づいて行動に表せば、まったく違った世界が生じるのだなと感じた。
徳事務所の由来は35歳の時に書いたもの。
それから22年間やってきた。熟読して、自分の人生などにうまく当てはめて頂ければありがたい。

福島大学から大同生命の寄付講座の講師を依頼された。テーマは
「日本で一番大切にしたい会社に学ぶ、人を大切にする経営」
このようなことが求められている。時代は変わったものだ。

当日のパワーポイントのレジュメはこちらからご覧ください


H27.12.15 (10.13事務所にて) 

 人間は幸せを求めて生きるものである。皆さんにとって幸せとは何だろうか。
人それぞれあるかと思うが、職員の中には税理士になる事という者も多い。人間には、一人一人生まれつきの能力があり、全てがなれるわけではない。税理士になれる能力がある人が税理士になれば良いのではないか。

二宮尊徳は、馬を飼う人間はすばらしい馬飼いになればよいし、ナスを耕して取る人間は立派なナス取りになればいいと言っている。
つまりは、武士がいて、その下に馬を飼ったりナスを作ったりして生活している人がいるように、世の中は階層があることで成立するものである。例えば、事務所の全員が税理士になったら事務所は立ち行かなくなる。

大切なのは自分の能力をしっかりと見極めること、そしてその能力を活かす道に向かって自分でベストつくすことである。
「自分の道は巡回監査士になる」というのも能力をいかす一つの道。決して税理士になる事、資格を取る事が幸せというわけではない。世の中でいわゆる出世をした人は多くいるが、その人たちが必ず幸せかというとそうではない。

衣食住が足りていれば、まず生きてはいける。
衣食住が足りている限り、幸せと考える人もいるだろうし、幸せというのは各々が決めることで、他人がどうこういうようなものではない。自分の生き方を顧みて、幸せだと思えればいい。

しかし、いけないのは、能力がありながらさぼったり、やらなかったりすること。
私の人生は、自分の道、与えられた位置でベストを尽くす、その繰り返しだった。
私よりはるかに優秀な人は世の中にたくさんいるが、それぞれの道でベストをつくす人はどのくらいいるだろうか。
与えられた仕事は怠けず全力でやる。その積み重ねが今の私を作った。
皆さんも与えられた仕事を全力で生きてほしい。その積み重ねが人生である。
いい役職、いい地位に上がることが目的じゃない。それを皆様も理解してほしい。


H27.12.15 (8.10事務所にて)

 TKCのモデル事務所の研修会に何か所か行ってもらうと良いかもしれない。一人の先生がベストという訳ではない。いろいろなやり方があり、それを学んで頂きたい。
経営計画をこのようにやっている、こんなサービスをやっているという話が聞ける。
ただ、今はやり方よりも考え方が重視される時代になっている。私もTKCの研修で講師をするときは、これからの会計事務所の所長の考え方を中心に話をさせて頂いている。
「自利とは利他をいう」というDVDの中で、テクニック優先でものを考えていないかというフレーズがある。昔からその言葉が心に突き刺さっている。いろいろなところでテクニックやノウハウ優先で考えすぎていないだろうか。それよりも本質を追求すべきではないだろうか。
会計事務所の役割は何なのか、今一度問いかけてみる必要がある。 時流に乗る者は時流によって滅ぶ。よくいう流行を追えというのは間違いだということ。
時中が大事。

みなさん一生懸命やって頂いている。一生懸命やれば願望は叶う。 夢をかなえるために一生懸命やっている。
しかしそれでもうまくいかないのはなぜだろうか。
一つは念の力。今に一点集中する心。
人間の思念のエネルギーはすごく、岩をも突き破る力がある。試験に受からない人は、日常の意識が分散しているが、うまくいく人は集中する力がある。
もう一つは環境や周りの動きを見ること。
冬に種をまいても芽が出ない。時の役割があり、春先にまくから実る。
その中で自己実現していくことが大事だ。


H27.12.15(8.3事務所にて)

 雑誌にあった「功徳」というご利益の話をしたい。
昔中国に達磨大使という高名なお坊さんがいた。インドで修業を終え、中国の両の武帝という国王に会った。この武帝は信心深く供養しており、国内に多くの寺を建設したり、お坊さんを育てたりしていた。武帝は達磨大使に尋ねた。
「私はこのような寺を建てたり、お坊さんを育てたりしてきました。あなたはこれについてどう思いますか」
達磨大使は「無功徳」と答えた。
武帝は当然褒められると思っていたが、功徳はないと。いかにも禅らしい答えだった。功徳とはご利益とかは一切無であり、そういうのにこだわっているようではダメなのだと。

また、こういう話もある。
日本で松原泰道という著名な禅のお坊さんがいる。
松原泰道は、台風で約1100人亡くなった洞爺丸という船の一便前に乗っていた。本来は事故にあった船に乗る予定だったが、台風が来ているから早く帰りなさいと言われ、強引に前の便に乗ったため命拾いしていた。東京に帰りこんなに亡くなったのかと知った。その時記者が「やはり仏道を極めた人はすごいですね、ご利益がありますね」と言った。松原泰道は、「とんでもないことだ。私一人が生き延びて他に千何百人という方が亡くなったのに、それを何でご利益というのか」と怒ったという。

功徳とご利益は基本的に違うというのが禅の考えで、功徳は自分のための利益、ご利益は他のための利益。
我々も企業で利益を出す指導はしているが、他を利することを利益という、そういう事だったのかと改めて思った。皆さんもどうやって利益を出すかという話を社長としてみてはどうか。他を利するのが本当の利益の意味なんですよとちょっと言ってみてはどうか。


9月

H27.11.17 (9.14事務所にて)

 孔子の言葉に以下のようなものがある。

「われ十五にして学(学問)に志し」

「三十にして立つ」(学問で自立できるようになった)

「四十にして惑(まよ)わず」(いろいろな迷いがなくなった)

「五十にして天命を知る」(天が自分に与えた使命を知った)

「六十にして耳順(したが)う」(どんな人の話も聞けるようになった)

「七十にして心の欲するところに従っても矩(のり)をこえず」(心の思うままに行動しても人としての道を踏みはずすことがない)

 これは世界一短い自叙伝と呼ばれている。この2500年前の考え方は、現代とまったく同じである。時代環境は違えども、人間の本質はあまり変わらないということだろう。

 15歳の時に、学問することを決意し、30歳の時に自分の生き方が決まるという。

 40歳にして物事道理がわかって、戸惑うこともなくなる。そして50歳にして、自分はなぜ生きるのか、なぜ働くのかということがわかる。この世にどのようにして活躍し、社会貢献していくかを自覚するのである。

 60歳にして、世の中の仕組み、成り立ちが理解できる。さらに、70歳になると、自分のやりたい事をしても、世の中の道理を踏み外すことがなくなる。

 この世界最短の孔子の自叙伝が、現在の私たち社会に殆どあてはまることに、驚きを感じる。


7月

H27.8.1 (7.6事務所にて)

 今日は「継続」という事についてお話したい。職員の中にも税理士試験を目指して頑張っている者もいるが、どんな事でも情熱を維持し続けることは大変難しいことである。

 鍵山秀三郎氏(株式会社イエローハットの創業者)の言葉で「10年偉大なり、20年畏るべし、30年歴史になる」というものがあるが、これは継続について述べた言葉である。税理士試験では、よく10年間と言われているが、当然に感情の波がある中で、歯を食いしばって継続できた者が合格できるのである。2,3年であきらめる人も多い。仕事をしながら合格を目指すという事は、「継続」することが大切で、そのためにも当初の意思をしっかりと確認することが大切である。

「継続」は30年経つと歴史になる。掃除などの日常の事でも本当に継続することは大変なことであり、そして素晴らしいことである。小さなことでも、毎日続けること、それは30年経ったら歴史的な事となる。皆様も「継続」で歴史を作るいう事を考えてみてはいかがだろうか。


6月

H27.6.22 (6.22事務所にて)

 先日、神奈川県の大磯プリンスホテルでセミナーを頼まれた。セミナー会場の最寄り駅であるJR東海道線二宮駅まで向かったのだが、古河駅から乗り継ぐことなく移動することができ、改めて交通の便の良さを実感した。また、この二宮という地は、二宮尊徳が生まれた小田原と隣接しており、縁があるようだ。こういった場所でセミナーする機会があり、これも何かの御縁なのではないかと思い、非常にありがたいと感じた。 

 今日は、そのセミナーで講演した内容について紹介したい。今回のテーマは「財務と哲学」であったのだが、昨今このテーマに対するニーズが高まってきている。セミナーの中で紹介した易経の言葉に「時流に乗る人は、時流によって滅びる」というものがある。私達が目指すべきものは「時中」であり、それはその時々の役割を把握して担っていくべきという事である。

 作物の話で例えてみよう。果たして冬に種をまいて、作物は育つのだろうか?否、春に種をまき、夏に育ち、ようやく秋に収穫できるのである。冬は豊かな土壌を育む準備期間という役割があり、見えないところで自然界の働きがある。そのお陰で秋に作物が実るのである。つまり、「時の役割」を把握して適切な行動をとる事が重要となる。算命学でも同様の話がある。現在を含めた十年は教育期にあたり、教育期でしっかりと準備してきた者が、2年後に到来する経済確立期で大きな成功を生み出すだろう。この教育期に、私たちは人として正しい事を行なえる人を多く導き育てるべきでなかろうか。


H27.6.1 (6.1事務所にて)

 TKC全国会がいよいよ会計事務所経営について力を入れ始めた。従来は事務所の管理運営が中心であったが今年は事務所の経営そのものに着目している。当事務所もモデルに選ばれているわけであるが、他の事務所の良いところを受け入れることによって、自分の経営の至らぬ点を知ることができて嬉しく思う。
 会計事務所の経営は、高付加価値と低付加価値に二極化してきていることは間違いない。
 当事務所の経営理念では「人を活かす」という言葉を掲げている。この「活かす」とは、その人が持つ根源的な価値に磨きをかけ、その人が世の中に役立つ人となり、世の中から喜ばれる人間になることを意味している。世の中に必要とされることこそが人間にとって最も幸せなことである。今後もそれを実感できるような事務所経営をしていきたい。
 今、次年度の方針や計画を考えているところであり、今までの理想を引き下げる予定はない。
 職員諸君も「自分を活かす」ということを常に自己に問い続けていって欲しい。


5月

H27.5.15 (5.11事務所にて)

 現在、日本は憲法9条の戦争放棄を拡大解釈して自衛隊という軍隊を設置している。
 私は果たして本当に設置できるかどうか、あまり真剣に考えたことはなかったので本を買って読んでみたのである。(池上彰著「超訳 日本国憲法」)
 日本国憲法第9条の戦争放棄と、憲法96条の憲法の改正手続について話をしたい。

 憲法第9条第1項「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」
 同第2項「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

 憲法96条「この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。」

 憲法9条において、通説的な考え方なら軍隊は設置できない。「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない」と書かれてあるからである。憲法第9条第1項の目的を達するために設置できないと解釈すれば、第1項以外の目的なら設置できると解釈でき、自衛の為には設置できると拡大解釈できるとして、現在自衛隊が存在しているのである。これは戦後間もなくの憲法制定時に、2項の「前項の目的を達するため」という語句が芦田均委員長により挿入されたためであると言われている。
 安倍内閣は、憲法96条を憲法9条より先に憲法96条を先に改正する動きがあるようだ。憲法96条の「総議員の三分の二以上の賛成」が難しいから、過半数の賛成に改正して、その後憲法9条を改正しようとしているのである。これを慶応大学小林教授から「裏口入学」と例えられて、非難されたため、安倍首相は最近あまり96条改正を先にとは言わなくなった。
 憲法改正には、人それぞれの解釈の仕方がある。国論を二分しているが、皆さんもこれを機に憲法9条をどう解釈するか勉強してはいかが?


H27.5.1 (4.27事務所にて)

 仏教の本質は「無私」であり、般若心経は「私(し)のすべてを否定している」のである。

 「無眼耳鼻舌身意 無色声香味蝕法」

 私は、この世の中で自分という存在を否定しながら生きていきたいと思っているが、中々自分の存在を否定しきれないものである。
 お釈迦様の生き方・考え方は、現実的にあり得るだろうか。物理的には眼もあり、鼻もある。そして花の色や香りも十分楽しめる。精神的にそれらを「無」として否定する。
 現代において自分の利益を度外視しながら生活をするのは、ほとんど不可能であると考えられる。お寺のご住職などは修行して悟りを開き、無私の境地に達したいと願っているだろうが、無私の境地に達するのはとても困難な道のりである。
 生きていく上で自分の利益を図りながら生きてくのはごく当然のことだが、全く自分の利益を無視して他のために生きていくことは可能だろうか。
 経済団体などは利益を求めるのは当然だが、それは「無私」と相反しているのであろうか。表面的に、我利我利亡者を克服することは可能だが、無私の境地に達することは難しい。その中で、少しでも意識を自分中心から他者中心に反転させることでお釈迦様の教えに近づくのではないだろうか。
 仏教の教えのように無私の境地までいかなくても、日頃の行動の中で無私を意識して生きたいと思う。


4月

H27.4.22 (4.13事務所にて)

 皆さんは、宇宙の歴史と自分の人生とを比べてみたことがあるだろうか。
私たちの70、80年の人生は、宇宙の何億年という長い営みに比べると、ほんの少しの出来事にすぎない。
福沢諭吉は、人の人生を「戯れ」のような価値のないものとして捉えている。

『戯れ去り、戯れ来たり、おのずから真あり』

 人は多くのことを悩むが、それは大宇宙の何億年もの営みに比べれば、ほんの些細な蛆虫の「戯れ」にすぎない。しかし、その「戯れ」の中にこそ「真」があるのだ。
 人として与えられた責務を全うし、淡々と生きることこそが「真」なのである。この責務とは、親に孝を尽くし家族を守り、社会に貢献していくことである。
 私たちは人生の中で多くのことを悩むが、それを「戯れ」であると捉えて生きていくこともまた一つの達観ではではないだろうか。


H27.4.21 (4.20事務所にて)

 新入職員研修の講師に招かれた際に、講演の中で話した、いくつかをご紹介をしたい。1つは、「何事にも真剣に取り組む心構え」である。例えば、挨拶実習1つをとっても、真剣に取り組まないと本番でもできないであろう。
 研修を練習と思って取り組んだ人と真剣に取り組んだ人では、本番の力の出方が全く違う、どんな時でも真剣に取り組む姿勢を持って欲しいものである。たとえ、研修であっても「一日一生」で臨むことが重要だ。
 もう1つは、「良い人と出会い、良い本を読む習慣を身につけること」である。「6か月前に食べたものが人間の体を作る」と言われるが、私は「6か月前に出会った人・読んだ本によって人間の頭と心を作る」と考えている。

「子曰く、君子は和して同せず、小人は同じて和せず」

 本日の論語の素読である。たとえて言うなら会議などでは肯定的な事を述べていたのにも関わらず、裏に回った途端否定的な事を述べる人が「小人」である。「小人」とは、幼児性が抜けず依存心が高い人を指す。
 人間は何のために生まれてきたのか。幼児性を脱却するために生まれてきたのだ。幼児性を脱却して人の役に立ち、そしてそこに喜びを感じることこそが人間の本来の目的である。もし、自身に幼児性があると感じる人は、幼児性を脱却しようと習慣づけて過ごしていれば自然と幼児性が抜けていくのである。
 経営者の心の傾向性が業績に影響する。業績がうまくいっていない経営者はどこかに依存心がある。経営改善は、経営者自身の心の改善にこそ、その本質がある。依存心を脱却し、本物の大人になることを気付かせることが私たちの役目であろう。


H27.4.6 (4.7事務所にて)

 今、桜が満開である。いつもこの時期になると九条武子の歌を思い出す。
  『見ずや君 明日は散りなむ花だにも 力のかぎりひと時を咲く』
 これはTKCの故飯塚毅会長のセミナーに行き始めた時、私がまだ30代の頃、飯塚会長が盛んにおっしゃっていた歌である。
 私は桜、特に古木の花を見るのが好きだ。花は若木の花と全く同じく、生き生きと凛とした花を咲かせる。これが素晴らしい。桜の花はよく見てみると若木でも老木でも全く同じ花をつける。これがすごく感動的だ。

見てごらん、明日散ってしまう花でも今この時を一所懸命咲いているだろう

今この時、この時を全力で咲く。人間の命は宇宙の営みからすると非常に短い。あっという間に人生が終わってしまう。長い宇宙の営みからすると人間の70、80歳なんてあっという間である。でも、今この時、1秒、1分、1時間、1日、これを全力で生きる。この桜花の一週間の命であっても、この一週間を全力で生き切る。将来どうなろうと、今を全力で生きること、その積み重ねが自分の人生となる。そう思って、私は今このひと時を一生懸命生きている。
 桜は間もなく散ってしまうが、毎年毎年花をつけて、老木も朽ち果てるまで同じ花を咲かせ続ける。ぜひこの桜の姿に学びたい。


H27.4.3 (3.30事務所にて)

 「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞は今回で5回目だ。

 今年は当法人からの参加者は少なかったが、来年こそは10名くらいは出席してほしい。1年前から予定しておけば、3月でも日程調整は難しくないはずだ。

 なぜ行ってもらいたいか。感じてもらいたいからだ。我々はついつい頭で考えることを中心にやっている。でも本当に大事なことは感じることだ。感じて全体を統合した中で把握することだ。考えるだけだと全体を把握することはなかなか難しいが、感じるとそれができる。

 感性は、若い時からどんどん年を取るにしたがって不思議と薄れてくる。例えば、昔はある本を読んで感動したが、今はだんだん薄れてきている。自分自身がそういう境地になって、それが当たり前になっているのか、もしくは、自分の感じる力がどんどん薄れてきているのか・・・どうも後者ではないか、と思う。その感じる力はそういう場におかないと、余計に薄れてくると思う。だからぜひ、表彰式等に行って、感じてもらいたい。


3月

H27.3.27 (3.23事務所にて)

 福澤諭吉の怨望と公徳について話をしたい。

 福澤諭吉は現在使われる言葉の多くを作った。例えば、Speech(演説)、Debate(討論)、Society(社会)等を邦訳した。それまで社会という言葉は日本にはなかったので、福澤諭吉は明治初期は人間と書いて「じんかん」と言っていた。Societyのことを「じんかん」と言っていたのだが、その後まもなく、「社会」と言い直している。

個人を「公」と「私」に分けたのは福澤諭吉である。「智徳」は公智と私智がある。「徳」にも公徳と私徳がある。従来日本の江戸時代は儒教の時代は、己を鍛えることが中心だったため、社会という概念がなかった。「私」のみで「公」に対する貢献という思想がなかったのである。それを持ち込んだのが福澤諭吉だ。
 一番悪いのは「不善の不善なるものは怨望の一ヶ条なり」といっている。怨望とは、上の人を恨んだり悪口を言ったりして妬むこと。個人的な感情で一番悪いのは上の者を妬み、悪く言って、貶めることで、それは何の益にもならない。怨望は私的な悪さのみであり、何の益ももたらさない、と言っている。私も正にその通りだと思う。それを無くすのは公徳である。自分のことばかり考えるのではなく、公のことを考える。公徳を磨けば自分の最悪の怨念は薄れてくる。福澤諭吉が「公」と「私」を分けたことは素晴らしいことだと思う。社会という概念の有無もなかった時代に「社会(society)」ということを唱え、それが公なのだということを言った。明治初期にあって福澤が「私智」、「公智」、「私徳」、「公徳」という「公」の概念を持ち込んだことは、まさに偉大なことであった。


H27.3.25 (3.16事務所にて)

 「学んで思わざれば即ち罔(くら)し。思うて学ばざれば即ち殆(あやう)し。」

これは私にとって妙に印象に残っている言葉だ。当時、会計士の試験委員だった早稲田大学の新井先生が「財務会計論」を出版された。その前書きのところにこの言葉が載っている。もともと学生時代から論語は少しずつ読んでいたので、当時は論語のことが書いてあるのだ、という程度に思っていた。ところが、今にして思うとものすごく重要なことなのだ。思う、ということは思索をしてみるということ。自分で考えてみるということだ。学んだだけでははっきりしない。逆に考えることばかりで、基本的なことをおさえない人がいる。それを独創的な理論だと言う人もいるが、それでは独断に陥ってしまって危険だということだ。

 当法人の経営計画書の中の基本書式資料集の部の表紙に「守・破・離」と書いてある。これは有名な観世流の創始者、世阿弥の言葉だ。これは芸の道だが、職人の道も全く一緒。まずは師匠の話をよく聞いて、真似をしてみる。徹底して師匠と同化することが大事だ。会社で言えば、この先輩は!と思う人については、仕事の仕方だけではなく、生活態度、話し方まで全部真似てみる。だんだん慣れてきたところで「破」、少しずつ冒険してみる。その中で、徐々に自分の道を確立してみる。このような流れでやっていく。14~15年くらいはかかるだろう。初めから自分のスタイルになってしまう人は伸びない。昔から言われていることは非常に重要であるので、今一度噛みしめていただきたい。

 今会計士の試験を受けている人はよくご存知だと思うが、会計監査六法等は本当に分厚い。私が受けた頃は、今の半分の大きさでページ数も半分くらいだ。「覚えることが少なくて良かったですね」とよく言われる。しかし逆ではないかと思う。法律も基準も、今は懇切丁寧過ぎる。細かいところまで書いてある。

今は、「この問題についてはこういう基準の条文に当てはめる」という言い方をするそうだ。我々の時はそういうことはなかった。そのもの本質を掴んで、その本質は何なのかを自分なりに考えて、「これであればこの条文に当たる」という形で物事の解決をしていった。学ぶ量は少ないのかもしれないが、思索をする、本質を考えるという癖付けができた。
今勉強されている方は、そういう意味では不幸なのかもしれない。覚えるだけ覚えて、本質は何なのかは答えられない。両方とも大事なのだが、初めてのことに当たった時は思索が大事で、さらにもっと大事なことは閃きだ。閃きを常に呼び込めるような体制を作っておくと良いと思う。


H27.3.13 (3.9事務所にて)

 確定申告を見ていると、青色申告控除10万円控除(単式簿記)でやっている方もいる。単式簿記でも複式簿記を意識してやっているだろうか。私は、複式簿記を発明した人はノーベル賞ものだと思う。収入があって経費を引いて所得を出すわけだが、その裏には必ずB/S科目が動いている。それを意識して仕事ができているか。
 B/Sは現預金からずっと資産、負債とある。それをきちんと順序だって整理をしてやっている人の方が結果的に仕事が早い。一瞬遅いように見えるが、最終的に仕事の仕上がりは早いのだ。新人職員、入所して年数の浅い方はそういうことを学んでもらいたい。
 お客様のところに行って、B/Sの裏付けをきちんと取って、それから仕事を始めている人は仕事も正しいし、正確で、しかも最終的な上がりも早い、とつくづく感じた。
 言われたことをその場で処理するのではなく、その裏となっているものを確認する。特に個人事業者の場合、事業主借がある。それが多くても平気な人がけっこういる。事借がなぜダメなのか。売上の誤魔化しに通ずるからだ。通常であれば事借は利息くらいしかない。それが何百万も出てくると、これはなんだろうと税務署も思う。売上を誤魔化すと誤魔化したお金で事借になる。贈与があった場合も事借となる。そのため税務署は非常に事借の大きさに注目する。正当な理由があって事借が多い場合には、決算書の注釈にその理由を書く。そういう作業がきちんとできている人が仕事も結局早い。単式簿記でB/Sを付けなくても常にそういうことを意識して、お金が入ってきた時にこれはどこから入ってきたのか、基を探ることが大事だ。常に法人と同じようにP/LのみならずB/Sを意識して仕事をすることが非常に大事で、結果的に正確で早いということになる。若い諸君はそういうことを意識して業務にあたっていただきたい。


H27.3.13 (3.2事務所にて)

 『淡』という言葉は私の大好きな言葉だ。「得意淡然失意泰然」という言葉がある。得意な時は淡々としていなさい、ということだ。我々は物事がうまくいって、得意な時は大いに喜んでしまう。喜ぶのもいいが、そういう時こそ淡々と過ごすということが私は大好きだ。しかし、仕事ができないと淡々と過ごせない。自分のやっている仕事をきちんと理解をして、自分が今何をやっているかということを自覚しながらやっている方は淡々としていられる。よく皆さんに淡々にしていなさいと言うが、言われるということは、仕事ができないということでもある。
『淡』は中国の言葉「六然」にある。その中の「淡然としていなさい」ということ。仕事をやっていて、上手くいった、上手くいかなかったということがある。その時に喜怒哀楽は顔に出る。それを淡々として過ごすということは簡単なようでそんなに易しいことではない。
 仕事というのはある程度きちんと分かっていて、それで淡々とやるというのがベスト。従って、皆さんも当事務所の研修に一生懸命力を入れているが、ある程度理解が深まらないと淡々としていられないということを理解してほしい。


H27.3.13 (2.23事務所にて)

 職員の研修報告発表を聞いて非常に感銘を受けた。社会福祉法人の研修の報告だが、それを事務所の仕事に応用するとこういう工夫をすればできる、ということを考えながら聞いていて、考えながらまとめている。これが研修を受ける基本的な心構えだと思う。ただ単に知識を得た、よかった、というだけでは小学生の話だ。大事なことは、それをいかに自分の仕事、お客様の仕事、人生等に応用するために必要なことかを考えながらやっていくこと。それを淡々と発表してくれたので嬉しくなった。

 先週、大阪に仕事で行ってきたが、その前にフランス料理屋さんに行ってきた。「日本でいちばん大切にしたい会社4」に紹介されている「ル・クロ」というお店だ。坂東太郎さんの賀詞交歓会でお会いして、一度行ってみたいと思っていたところ、ご縁があって伺えることになった。
 行ってみるといい会社というのは分かる。社長がいなかった(いないのは事前に分かっていた)のだが、最後に顔を出していただいた。一番感じたのは、従業員一人ひとりが自分が何をやるべきなのかが良く分かっている。お客様にとってどういうことを持ちかけていけばお客様は喜んで下さるのかが分かっている。あれは訓練ではないと思う。自分の役割、自分の生きる目的をきちんと分かっているから素直にああいう表現ができるのではないかと感じた。そこは人が辞めないし、辞めても戻ってくるそうだ。そのあたりの場が大事なのかな、と思った。

 いい会社、いい人と出会うとやはり学びになる。3月20日に法政大学で「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞の表彰式がある。いい会社と触れ合ったり、素晴らしい方々と出会ってみたいという方はぜひ申し込んで下さい。


H27.3.13 (2.16事務所にて) 

 TKCの生涯研修に参加してきた。小田全宏氏のお話しで、彼は松下政経塾の第4期生で、とても興味深いお話しだった。
 松下幸之助は非常に陽転思考だったそうだ。例えばコップに半分水が入っている。それを「半分しかない」と捉えるか、「半分も入っている」と捉えるか。皆さんはどちらだろう。私は完璧に後者だ。
 物事には必ず両面がある。表から見るか裏から見るかによって、ガラッと考え方が変わってしまう。何か失敗事をすると、その時は落ち込むが、そこからの切り替えが大事だ。こういう失敗をしてしまったが、次は二度とやらない、と考えるのは「陽」。失敗してしまった、どうしよう・・・と陰鬱になってしまうのは裏からの見方。松下氏は、物事は失敗したらそこから「なぜだろう」「どうしてだろう」ということを見ながら切り替えていくそうだ。
 松下氏の代表的な言葉が、彼が90歳の誕生日の時に言った「私は180歳まで生きる。人生の折り返し地点だ」という言葉だ。たいていの人は90歳になったら、もう人生は終わりだと思うだろう。これを「人生の折り返し地点だ」と考える考え方。私はそこまで「陽」にはなりきれないが、素晴らしい考え方だと思った。

 もう一つ、私がこの先生(小田氏)に驚いたことが、記憶力がすごかったことだ。参加者に1つずつ30個の名詞を言ってもらう。皆さんは30個の名詞を覚えられるだろうか。小田氏は全てを覚えていて、順番に覚えていくのではなく、個別に全部覚えている。私は最近記憶力が衰えていると感じる。小田氏がセミナーをやるというので、早速申し込んだ。陽転思考でどう覚えられるのか、非常に興味深く思っている。30個をあっという間に覚えるのは大変な才能だ。50数歳の人がどうしてそういうことができるのだろう。きっと何かスキームがあるに違いないと思ってセミナーを受けてくる。こうご期待! 


H27.3.13 (2.9事務所にて)

 「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞の現地審査に行ってきた。いわき市内のとある企業で、市内のシェアが50%を超えている。そのため大きいところが参入しても驚きもしない。地元の皆様方と共存共栄でやってきた結果だ。
 そこで50周年の記念誌が発行されている。3分冊あるがその中の2分冊はすでに20周年の時にできている。それを復刻したのだ。この中の一つに、「経営はこのようにすれば上手くいく」ということが書いてある。これが幹部研修の教材になっているのだ。幹部の方に話を聞いてみたら、「これは正にバイブルだ」と言っている。これが年輪経営をやっていく際に重要なのだ。会社の理念、計数計画、計数管理も含めて、全て会社としてやっていくために何が必要かが網羅されている。一人ひとりの数値目標が明確に落とされている。それを自らが理解し、自らが率先してやっていく。自律していることが大きな特徴だ。

「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞の表彰式が3月20日にあるので、その中でぜひ体感していただければありがたい。いい会社、長く続く会社を見させていただくと、それなりの創意工夫、日々の努力をきちんとやっていると実感をした。


2月

H27.2.2 (2.2事務所にて)

 今日は、久しぶりに福沢諭吉の言葉を紹介しよう。

「気品の泉源と智徳の模範たることを期して、慶応義塾を作ったのだ」と諭吉は言っている。

『気品』とは非常に難しい日本語だ。どうしたら気品が出るのか。気品はバックボーンに智徳があって、それがないと気品が出ない。バックに智や徳、そういうものがないといけない。そして、気品の泉源と智徳の模範たれというのは、義塾を作った福沢諭吉の信念なのである。
 当時は、大変な時代で彼自身も命を狙われたことが何度もあったような時代であった。封建時代から近代社会へと大きく舵を切った時代に、今日でも通じるような目標を作ってやるというのは大変なことだと思う。我が事務所も皆『気品』があった方がいい。そのバックボーンが「智」であり「徳」である。「智」は知恵だ。これは日常の研修であったりいろいろな本を読んだりで「智」は高めることができる。「徳」は事務所の研修でもやっているが、これはある程度、皆さん方の基本的な性格が大きいと思っている。「智」と「徳」は全く別物なので、智徳の模範たれという風に言っているが、私は「徳」というのは生まれながらにして持っているものが大半だろうと思っている。この世に生まれ出て、徳を持っているのだが磨かれないという人もいるので、そういう人は教育である程度成長できると思っている。従って、「智」と「徳」の研修を事務所でも力を入れてやっている。
「智」というのは知識なので研修すればある程度身に付くが、「徳」はどうしたら自分で磨かれるかを考えていただきたい。「智」「徳」が揃って、それをベースに『気品』を高めていただきたい。

 私も『気品』と「智」「徳」ということは、学生時代はそんなに考えなかったが、年を取ってくるとそういうことがよく分かるようになってくる。「あの人は品があるね」と言われるのは、やはりそのバックに智徳があるのだと分かるようになった。ですから、『気品』と「智」「徳」の三つをぜひ頭の隅に置いて、研修等に励んでいただきたい。


1月

H27.1.21 (1.19事務所にて)

 今、ノートを2つ作っている。
 1つは、仕事のことで今日やるべきことを朝書く。やったら脇に別の色で日にちを入れる。まだできていないものは日付が空欄になっている。

 もう1つは、経済指標に使っている。これは数年前に小宮先生が事務所の経営研究会に来られた時、「小宮手帳」を紹介し、そこに経済指標を書くといい、と言っていたと思う。私が使っているのは普通のノートだが、そこに今年のお正月から主だった経済指標を書いている。日経新聞に1週間に1回載っているので、そのうち重要と思われるものの定点観測を行っている。そうすることによっていろいろなものが見えてくる。
 例えば、日経新聞の経済指標には載っていないが、金の価格の過去最高の小売価格はいくらくらいかご存知だろうか。実は2013年4月が最高だった。今、1月16日時点で5124円、過去最高だった2013年4月が5084円だ。従って、今、円換算の小売価格は最高値なのだ。金はミラー相場だ。ミラー相場とは、アメリカで決まった値段をドル円換算するため、為替の影響を受ける。そういうことを見ていくと、アメリカではまだ最高ではない。たまたま円換算で高く見えているだけだが、徐々に上がり始めてきたのかな、と感じる。
 先週14日にスイス銀行が無制限のユーロ介入をした。あれで当然ながら株価も相当乱高下した。外貨もかなり影響を受けている。

 そういうことを定点観測しながら、どういうことが起きたらどうなるかという因果関係を自分なりに推測しながらこのノートに書いている。これをやっていくと、先をより良く見えるようになるだろうと思った。
皆さんもぜひやってみてはいかがだろうか。


H27.1.21 (1.19事務所にて)

 「驕り」
 以前、扇四呉服店の家訓の話をしたと思うが、「驕り」がやはり一番の衰退の原因になると思う。お陰様でまたTKCのある会から事務所見学会に来たいという話を受けている。しかし、全国から注目されるから完成形だと思わないでいただきたい。まだまだ至らないし、至らないところ、完成形ではないところを見ていただこうと思っている。お客様においでいただいて、うちはそんなに注目されていてすごいんだ、と思ったらおしまい。そこだけは間違えないで、謙虚にお客様をお迎えしていただきたい。


H27.1.20 (1.13事務所にて)

 週次MTはできればみんな出るように!

出ない人は9時からお客様と監査の約束をした、という方が多いのだろうが、5分、10分遅らせることは十分可能ではないか。以前から何度か言っているのだが、だんだん集まりが悪くなっている。非常に残念である。出て何があるかと言えば、何もないかもしれないが、一つのケジメだ。週の初めに集まる。よし、これから1週間やるぞ!というケジメ。10分の時間もないほど忙しいのだろうか?

 決められたことはきちっとやるという習慣は大事だ。人間の性格は、7,8割は変わらないと私は思っている(まれに劇的なことでガラッと変わる人はいるかもしれないが)。従って、いろんな道徳的な研修をいくらやっても人間の本質はほとんど変わらない。いくら言っても、その人の仕事に対する態度は変わるものではない。私がこう言って、次回から全員参加するかというと、何人かは調整して来てくれるかもしれないが、やはり全員は揃わないだろう。そうなると方法は強制しかなくなるだろう。やりたくないことだが・・・。

 事務所で決められたことはきちんと守る、これがスタートだと思う。きちんと週の初めに出てきて、今週の諸事連絡を聞き、皆さんと顔を合わせて、今週もやるぞ、という意気込みが見えないことには始まらない。

 週次MTや事務所の方針等、決められたことを1からきちんと改めて見直してもらいたい。性格は変わらないと言ったが、これは一つの性格によるものではなく、決めたことはきちんと守るという本人の意思表示だと思う。仕事優先はそれはそれでいいことだが、私は、気の緩みがあるのではないかと思う。些細なことでも決められたことはやる、ということが本人の仕事ぶりにも影響してくると思っている。決められたことはきちんと守るという意思をきちんと持ってもらいたい。


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