このページはHOME > 会長・理事長「ちょっとブレイク」心に響く一言
H24.5.10 (5.7 事務所にて) |
今日は、『菜根譚(さいこんたん)』についてお話をしよう。
これは、中国明時代の洪自誠という思想家が書いた人生訓だ。その中で好きな言葉がいくつかある。当事務所の和室に飾ってある「得意淡然失意泰然」もその一つだ。得意な時は有頂天にならず、淡々としていなさい。失意、どん底の時は泰然自若としていなさい、という意味だ。
洪自誠は「淡」という字が好きなようだ。私もこの字が大変好きだ。
「淡々と生きよ」という一文がある。その中で「淡」が出てくる言葉があったので、ご紹介をしたい。
「醸肥辛甘は真味に非ず。真味は只これ淡なり。」
譲肥辛甘とは、とても濃い味、出汁のきいたいい味のことで、これは本当の味ではない。本当のおいしさは薄味なのだ、という意味。料理家が聞いたら喜びそうなことだ。濃い味は真の味ではないのだ。真の味は、淡白な味であり、その中に本当のおいしさがある。非常にいい言葉だ。
それを受けてさらに次のように言っている。
「神奇卓異は至人に非ず。至人は只これ常なり。」
神奇卓異とは、仕事のできる人、優れた人のこと。こういう人は、人生を極めたような人(至人)ではない。そういう偉い人ではない。
至人は只これ常なり。常とは、ごく普通の人のこと。
つまり、仕事のできる人とは、そういう道を究めた人ではなく、ごく普通の人なのである。人生は淡々と生きなさい、ごく普通でいいのだ、ということだ。私はこういう言葉が大好きなので、職員にも「淡々と生きよ」と事あるごとに言ってきた。一喜一憂せず、腰を据えて淡々と生きることが、人生の幸せにつながると私自身も思う。そういう仕事ができる人というのは、良く勉強をして道を究めたという人ではなく、常人でいいのだ。もちろん、努力するなという意味ではない。大きな山あり谷ありではなく、常に心を一定に整えていくことは意外と難しい。常人で生きることは一見易しそうに見えるが、大変難しいことなのだ。しかしそれが本当の幸せの素だ、と私も思う。
いろいろな生活、仕事をしていく上で、心を平らかにして常に淡々と生きる、常に常人であれ、ということを肝に銘じたいと思う。
H24.5.2 (5.1 事務所にて) |
- 4月末に来期経営計画書の方針を出させてもらった。内容は今までとあまり変わらないと思う。ただ、形式が若干異なるので、所内でも違和感を感じている人がいると思うが、その時は遠慮なく直接言ってもらいたい。
今後の予定は5月中に職員から目標等を出してもらい、6月中に個別に面談をして、本当の意味での個人目標をきちんと作り上げていこうと思っている。以前にも言ったが、今回は情緒的な目標は認めない。必ず数値目標に落とし込めるものでないと、本当の意味での目標とは言えない。
今回の「二つの歯車」は、事務所目標と個人目標がリンクしていない。どこでリンクしているかというと、事務所の成果と貢献だ。つまり、事務所の成果に対して、職員が強みを活かしてどう貢献していくかということ。それが個々人に「5つの強み」を出してもらった一番の理由だ。自分はこんな強みがあるので、ここを強化していきたい、ということを貢献のところに書き込み、その中で貢献と目標が結びついてくるので、目標を数値化できるようなものにしてもらいたい。事務所としての成果+目標を提示してあるので、その中から選択して「自分はこれをやっていきたい」という目標を掲げてほしい。
そこで、ちょっと頑張れば上にいく、という目標を立ててもらいたい。例えば、今まで巡回監査率100%だった人が「巡回監査率100%」という目標を立てても意味がない。それは当たり前の話だ。それであれば違うところに目標を定めるべきだ。ただ、事務所全体での巡回監査率等は出さなければならないので、それは従来の巡回監査等実績表を併用しながら次年度はやっていこうと思っている。
今回、「論語の素読を行う」ことを入れた。これには理由がある。
一つは、陶冶会で「陶冶館」を作ろうという運動がある。これは、論語の素読を行う、いわば道場だ。それを対外的にやってもいいし、社内的にやってもいい、ということになった。例えば、毎週1回等、素読をやっていることが「陶冶館」として認められる。それをきちんとやっていきたい。
もう一つは、人格の完成を目指していく上で、これを若いうちから学んでいる人と学んでいない人とでは、50代になって大きく差がつくことが実証されている。私も50代になって良く分かる。同級生に会っても、そういうことに素養があった人とそうじゃない人とは大きな差が出てきている。20代の人はあと30年経たないとたぶん実感できないかもしれないが、30年経った時にやっておいて良かった、という思いを必ず持ってもらえるだろう。
本は「子供と声を出して読みたい論語百章」。これは非常に分かりやすい本だ。素読用の文章もあるので、朝礼等で活用しながらやりたいと思っている。
H24.5.1 (4.16 事務所にて) |
- 今、ドラッカーの本を読み返している。
『経済人の終わり』はドラッカーの最初の政治関係の本だ。ここで、「マルクス社会主義もファシズムも根は同根だ」と言っている。
いわゆるブルジョア資本主義では人を幸せにできない。ブルジョア資本主義とはどちらかというと資本家の利益を図ること。マルクス社会主義とは労働者側の利益を図ることだった。どちらも人を幸せにすることができないと気付く。気付いた大衆はどうしたか。絶望したのである。そして、思考省略、自分で考えなくなる。そこに忍び寄ってきたのがファシズムだ。一人ひとりモノを考えなくなる世界というのは全体主義にならざるを得ない。これはトップのリーダーの資質によってものすごく変わる。全体主義でもいい方向に導く人が導けば良いが、悪い方向に導いたら全員が奈落の底に落ち込んでしまう。そういう危険性を孕んでいる。
私は今年54歳になったが、この年になるといろんな経験も積んでいるし、知識も身に付けているし、あまり考えずに判断することが多くなった、と反省をしている。だんだん年を追うごとに知識・経験がつけば、判断がしやすくなる。しかし、その知識・経験が、自分が本当に考えることの邪魔をしているのではないか、と最近思っている。
普通だったらこのような本を一日あれば読み終わるのだが、これは足掛け3日。一つひとつ線を引きながら、どういうことなんだろうと考えながら読んでいる。人間、考えることを放棄したらおしまいだ。
事務所の経営方針を今作り上げているが、今年は今までと違って、ドラッカーの「2つの歯車」を元に作ろうと思っている。今までもその中のいくつかは書いてあるが、今回はより体系的に分かりやすく提示をしたいと思っている。そこでいろいろな意見をいただければありがたい。
人を幸せにするのはファシズムでもマルクス社会主義でもない。ドラッカーは「産業人(企業・組織)がいい社会を作っていく」と提示した。同じように、一人ひとりが幸せ感を感じられなくて事務所が良くなることもないし、社会が良くなることもない。自分は何ができるのか、自分の強みは何なのか、自分はこの事務所を通じてどういう形で幸せになっていくのか、ということを今一度考えてもらいたい。
H24.4.23 |
先日、孔子の『君子和して同ぜず、小人同じて和せず』という話をしたが、それに類するような意味を持つ言葉に出会ったので、今日はその話をしよう。
『奴雁(どがん)』という言葉がある。2,3日前に福沢諭吉の本を読んでいたら、偶然この聞きなれない言葉に出会った。
雁は集団で行動しているのだが、エサをついばむ時に、その群れの中に必ず頭を上げて周囲を警戒している雁が一羽いる。つまり、不測の事態が起きないように常に注意を払って群れを守っている。それを「奴雁」というのだそうだ。
中国の言葉からきているそうで、宋の時代の詩人 陸游の言葉に、
『我 雁奴となりて死するとも、鶴媒になりて生きざらん』(中国では「雁奴」というがこれが正しい)
たとえ雁奴となって死に果てても、鶴のおとり(鶴を捕る時に鶴のおとりを使うそうだ)になって生きたくはない、という言葉だ。つまり「将来の災厄から国を守るため命を落とすことがあろうとも、策謀により国を売るような生き方は断じてしない」という意味である。この漢詩から日本では「奴雁」という言葉が入ってきたようだ。
つまり、「世のリーダー、学識者は奴雁たれ」ということだ。いつも周囲に注意を払い、不測の事態に備え警鐘を鳴らすのが学者であり、識者であって、その警鐘に対して異を唱える大多数の大衆に迎合するような学者であってはならない、という意味だ。論語の『君子和して同ぜず』の「同ぜず」に通ずるところがあると思っている。この世には、大衆に迎合して、「奴雁」たる真のリーダーの「正論」に対して、訳もわからず批判する学識者がたくさんいる。本当に残念なことである。
今回の原発の問題も賛否両論がいっぱい出ている。これから20年、30年、あるいは100年先をきちっと見据えた自分の意見を述べる人間を「奴雁」というのだ。鶴のおとりのように、国を売るような迎合者になってはいけない、ということだ。
私自身は、僭越ながら「雁奴」にずっとなっていきたいと願って生きてきた。慶応大学には福沢諭吉の根本理念である「独立自尊」の思想が、現代にも脈々と生き続けていると思っている。私はこの思想が大好きで慶応に入った。私自身は小さい存在だが、そういう独立心、そして将来を正しく見極める人間になりたいと常に念じている。
H24.4.23 (4.16 事務所にて) |
『君子和して同ぜず、小人同じて和せず』
この言葉は、論語の中に出てくるが、私の大好きな言葉の一つである。「君子和して同ぜず、小人同じて和せず」孔子は約2500年前に言ったが、この言葉は現代においてもまさに真理である。
組織にはいろいろな考えを持つ人が当然いる。当事務所にも24人いるが、一人ひとりみんな考えは違う。生まれた環境も違うし、その後の経験も同じ人は誰一人として存在しない。だから、一人ひとり考えが違うのは当然のことだ。それ自体は是としなければいけない。全員が同じ考えということはないし、同じであるべきだと思ってはいけない。それをいかに調和していくかが、組織では大事なことである。
「君子は和して同ぜず」という。道理をわきまえた人は、組織がいったん決めた方針にはきちんと異を唱えず協力する。でも同ぜず、つまり心底には自分の考えをきちんと持っているということ。
一方、「小人同じて和せず」。小人とは物事の道理が分からない人。表面では「そうですね、分かりました、いいですね」と言って、分かったふりをするが、いざ組織の方針で行動を起こすとなると一切協力をしない。そういう人は最低の人間と言わざるを得ない。表面的には手をたたいて「はい、分かりました」と賛同するが、実際に行動を起こす段になると、「忙しいからできない」、「今日は都合悪くごめん」とか言って逃げる。組織にはたくさんこのような人がいる。残念なことである。
皆さんもいろんな会議などで、意見を求められたら、積極的に自分の意見を述べなくてはいけない。いろいろな意見がある時には、決まる前に言わなければいけない。しかし、いったんやるべきことが決まったら、たとえ自分と意見と違っても全力で協力しなければいけない。決定後にグジグジ言うのは益もなく、さらに人格を損なう。
日本の政治を見ても同じことが起きている。民主党の中でも「社会保障と税の一体改革」についていろいろな意見がある。しかし民主党の方針として決まったら、与党たる民主党に在籍している以上、執行部の意見に従わなければならない。従いたくなければ離党するしかない。決まった後も「消費税増税には反対だ」と言っている議員諸侯には、この孔子の教えを是非教えてあげたい。今の混乱は国家にとって何の益もなく、マイナスでしかない。
皆さんも事務所の経営方針について、いろんな意見があると思う。言うのはフリーだ。決まる前にどんどん言ってもらいたい。しかし、いったん決まったら「和して同ぜず」。「和」が先に来るのだ。自分の考えを捨てろということではない。自分は自分でしっかりした自分を確立し続ける。まさに福沢諭吉の言う「独立自尊」だ。そのうえで組織の方針には自発的に従う。
この孔子の教えは、素晴らしい言葉だと思う。皆さんもぜひ反芻をしていただきたい。
H24.4.3 (4.2 事務所にて) |
明日(4/3)、明後日(4/4)とトピックセミナーで「社会保障と税の一体改革」について話をする。それに関連した話をしよう。
ようやく3月30日に閣議決定して、国会にも一体改革法案が出された。これまでの与党の議論を聞いていると、『鶏と卵、どちらが先か』の議論と全く同じだと感じる。増税が先か、歳出削減が先か。小沢さんと亀井さんは「歳出削減が先だ」と言う。野田さんは、消費税増税が先だという。私は、どちらが先という議論をしていたら永久にまとまらないと思う。基本的には両方やらなければダメだ。景気は需給のバランス。需要が供給を上回っている時は好景気、逆転すると不景気になる。今は不景気だ。需要が先か供給が先か、個人のサラリーを増やすのが先か、支払う会社の景気を良くなるのが先か、どっちが先だろうか。こんな議論をやっていたらきりがない。家計(給料)が豊かにならないと消費は絶対に伸びない。給料を多く払うには、会社の景気が良くならないと実現しない。そんな議論は堂々巡りだ。やるべきことを両方やらないといけない。
歳出を削減したらどうなるのか。歳出削減は引き締め政策だから、こんな不景気の時に引き締めたら、増々景気が悪くなるだろう。国家は今100兆円近くの予算を使っているが、歳出削減が先だということはそれを90兆、80兆にすること。そんなことをしたら余計に不景気になる。無駄な経費、予算を削減する、と言ったら一見皆さんは賛成するだろう。だが、削減したら社会にその分お金が出回らなくなるから、今以上に不景気になる。極端な歳出削減は避けなければならない。消費税を増税して、社会保障費に充てる。今はそれしかないと思う。
企業の活性化を図る指標に「総資本回転率」がある。投下した資本の何倍の売上があるか。企業の平均は2倍。1億投下している会社はだいたい2億の売上がある。これを3億売上げている会社は利益が出る。国も、国内でお金をまわさないとダメだ。景気回復には、国内の金融資産を滞留させてはいけない。今の高齢者は金融資産をたくさん持っているが、消費しない。なぜだろう。社会保障が不安だからだ。年金がもらえなくなるかもしれない。老後の生活が保障されていないから、その備えのため蓄えている。お金がまわらないのだから景気が良くなるわけがない。消費→会社(または国)→給与(または年金)→消費このサイクルを高速で回転させ、年2%程度のインフレ社会に変えること、これが不景気脱却の
鍵である。
法案の中で、消費税の上げ方には再検討を要する。現時点では2段階、平成26年4月に8%、27年10月から10%としている。今はデフレスパイラル。物価が下がって悪循環になっている。物を買わない、物価が下がる、余計にまた買い物を先送りする。土地が典型的だ。下がれば土地は急いで買う必要がない。デフレスパイラルは縮小経済だから、どんどん経済は縮小する。景気を上向かせるにはこれを脱却するしかない。そのためには消費税をもっと長期的にかつ段階的に上げる必要がある。私は、あと10年かけて毎年1%上げるのが理想だが、事務処理が大変なので、2年毎に2%ずつ5回上げる。10年後は消費税率15%、これが日本経済には最高の政策だろう。野田さんも10%に上げた後も消費税を上げることに含みを持たせたかったが、小沢派に猛反対され、条項を削除せざるを得なかった。10年後に15%、それでも世界の先進国から言えば、まだ低い消費税率だ。日本はこれまで上げるのがあまりにも遅すぎた。だから超高齢化社会を迎え、社会保障制度は破滅寸前であり、先進国で唯一のデフレ国家になってしまった。
消費の動機には2種類ある。@今絶対に必要だから買う、という需要と、A将来値上がりしそうだから今のうちに買っておく、という需要。
Aの需要に消費税の段階的増税がプラスの影響を与えるわけだ。2年後に2%上がる、その先もまた2%上がる、というと今のうちに買っておこうという消費意欲が出てくる。建物、土地のような高額物件では、その傾向が顕著に表れる。ただ、閣議決定して国会に法案が出されたが、ねじれ国会なのでそのまま成立するとは限らない。自民党が反対したら成立しない。自民党自身は消費税を上げることには基本的には賛成しているので、どこで折り合いを付けるかが今後の争点になるだろう。
皆さんも自分の生活に直接影響がある事なので、社会保障と税の一体改革は、単なる消費税を上げるということではなく、どういう本質なのか、ということは少し考えてみてください。あまりマスコミ等の表面的な議論に流されないようにしていただきたい。正しく理解していただくことをお願いしたい。





