第36回経営研究会
テーマ 「山田方谷に学ぶ再建の極意」
講 師 株式会社ヒューマンネットワーク 
      代表取締役社長 福田茂夫先生


 山田方谷は、備中松山藩(現在の岡山県)の財政を立て直した人物です。山田方谷が実際にどういう方法で立て直したのか、順序や考え方を学ぶと自分の会社の経営改善のヒントが見えてきます。

1.方谷年譜 
 1805年 備中松山藩領(現在高梁市中井町西方)にて、
       父・五郎吉、母・梶、の長男として生まれる。
       (農商の子。弟ひとり、妹ひとり。)
 1809年 新見藩儒者・丸川松隠に学ぶ。師として、養父
       として、方谷の人生に大きな影響を与えた人物。
 1834年 江戸遊学の機会を得て、三年間佐藤一斎の門人
       となる。
 1836年 
理財論上下、書く
 1838年 私塾「牛麓舎」を開く。
 
1844年 勝静の教育係となる。
 1849年 元締役、兼、吟味役に就任する。異例の大抜
       擢。
 1850年 藩政改革に着手する。
       
 藩の財政状況の詳細な調査に着手。周囲の
         非協力的な反発をよそに淡々と、かつ徹底
         的に調査業務を進めた。
       
 「藩財家計引合収支大計」という藩財政の
         収支の試算表を作る。十万両(百億円)の
         負債。
       
 藩主帰国とともに、藩政改革の大号令が発
         令される。
      
  ◎(「方谷の意見は私の意志だ」とまで、
         藩の重役会議で表明する。)
       
 倹約令を発布する。主として、中級以上の
         武士と豪農・豪商が対象。藩士の俸禄を減
         じるに先立ち、自らの俸禄を大幅に削減す
         る。
       
 債権者である大阪の両替商(銀主)に、藩
         の現状を包み隠さず説明する。銀主に協力
         を得る以外に道はないと決心する。
       
六 経費節減の観点から大阪蔵屋敷を廃止。千
         両(一億円)の経費を節減する。
       
 藩札整理を始める。藩札を貨幣に交換する。
 1852年 
 「撫育方」という役所を新設、藩内の事業
         部門で藩の専売事業を担当する。年貢米以
         外の一切の産物を集中させ、販売管理を手
         掛ける。
       
 文武奨励策として「里正隊」という農兵制
         度を作る。富国強兵を図る。
       
 一万千八百五十五両(約十二億円)の藩札
         を大観衆の前で焼却する。新札(永銭)発
         行。
 1856年 
十一「学問所」や「教諭所」を設置する。教育
         施設の充実を図る。 
 1857年 財政改革は八年間でほぼ目的を達成し、十万
       両の負債を返済した上、十万両の蓄財をし
       た。
 
1877年 王陽明全集を枕もとに置き、畳の上にて生涯を
       閉じる。
2.理財
 「理財を論ず 上」
   (1) 重税の影響
  (2) 哲学の重要性
  (3) 天下泰平の膿
    (4) 原点の回帰
   (5) 財の外に立つ者
   (6) 財の内に屈する者
   (7) 理想の国家
   (8) 歴史に学ぶ
   (9) 指導者の器量
 「理財を論ず 下」
   (10) 理財論を問う
   (11) 天命と人道
   (12) 弱小国の憂い
   (13) 孟子の教え
   (14) 王道を邁進する
   (15) 適切な利潤
   (16) 近道は無い
3.経営の改善は、勘定科目の改善なり。
4.まとめ
 克己前進