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2014

12月

H26.12.24 (12.22事務所にて) 

税理士の建議権

18日に、自由民主党の総選挙後初めての税理士制度改革推進議員連盟総会に行ってきた。加入議員全員で自民党198人いるが、そのうちの3分の2くらい出席されていた。
 税理士会には税理士法に規定されている建議権がある。改正税法について国会等に毎年建議をしている。今回、その建議の内容の説明をしてきた。12月30日に今年の税制改正大綱が発表されることになっている。例年14,5日に発表されるのだが、今年は総選挙があったため遅れた。

 建議の中で、3つ大きな要望を出している。

① 軽減税率の導入反対
② 外形標準課税の中小企業への導入反対
③ 繰越損失控除の中小企業への制限の導入反対
以上3つをお願いしている。

 野田毅(党税調会長)氏が党の現状について、次のような話をされた。

① 軽減税率の導入
これは仕方のないことで、導入の方向性だ。公明党が強く言っているが、自民党単独だと、導入しない方向だったのだろう。公明党がずっと言い続けているので、それを無視するわけにはいかない。自民党としては範囲を狭めたいが、軽減税率の導入はほぼ確定的だ。
② 外形標準課税
これについては資本金1億円以下の中小企業には及ぼさないという方向性だ。これは税理士会の要望に沿えるという話があった。
③ 繰越損失の控除
今、9年間、100%控除ができているが、これを9割、8割減額する案が出ている。これも中小企業には及ぼさない方向で検討しているとのことだ。

 軽減税率だけは仕方がないが、外形標準課税、繰越損失控除については税理士会の要望通りにいくだろう。

その他に30日の税制改正大綱には、法人税率の軽減が当然入ってくる。アベノミクスの成長戦略の重要な一つだ。軽減幅は2%台というのはテレビやラジオ等で言っている。何%になるか分からないが大綱に入ってくるだろう。30日はお休みだが、マスコミ等で出ると思うので、注目をしていてもらいたい。 

10月

H26.10.30 (10.27事務所にて) 

AOTCA

 AOTCA(Asia-Oceania Tax Consultants' Association)の総会で、先週台北に行ってきた。20年くらい前に日本の税理士会が中心となって作った、アジア・オセアニアに日本の税理士制度的なものを広げようという会である。

 今、韓国には韓国税務士会がある。唯一、日本の税理士会と似た会が存在する。ベトナムはまだ制度的にはできていないようだが、ようやくそういった制度を入れようかという動きになっている。他の国は、税理士という専門業種がないと国は成り立たないので全くないわけではないが、会計士や弁護士がその任を担っているのが現実である。日本のような税理士制度はほとんどないため、それを広げようと活動している。

 BEPSを皆さんは知っているだろうか。価格移転税制のことだ。昨今、インターネットが非常に盛んになってきているので、BEPSという手法を使って税を逃れるということが多く発生している。今回の総会のテーマは、このBEPSが主なテーマであった。

 今、税は、有形の事務所がないと課税できない。ところが、本社をアメリカや海外に置いておき、日本で商品を売り、それで消費税や法人税を免れる、ということをやっている会社が多くある。それを今必死になって、日本でどうやって課税しようかと考えている。商品の移動だけではなく、事務所を持たずにネット上の会議だけでやってしまうことも理論的には可能だ。そうすると、目に見える場所にないような事業は、本来課税すべきであるのに課税できなくて、本店所在地のみの外国で課税される。そして、シンガポールのような法人課税が緩やかな課税地を選択することとなる。そのようなことが実際に起きている。それをどうやって是正するか各国が集まって検討中だ。話し合いがまだ始まったばかりだが、一生懸命努力している最中である。 


H26.10.20 (10.20 事務所にて) 

資本主義の行方

 最近の世の中の動きを見ていると、資本主義がかなり危ない方向に行きつつあると考えている。安倍政権が成長戦略を実施しているが、成長戦略というのは資本主義を積極的に推進することに他ならない。しかし、今、消費税が8%になって経済がどうなっているのか。全体的に見るとプラスの方向には行っているようだが、ただ中小企業はなかなかその恩恵に与っていないという面がある。それは大企業という強いものが勝っているという原理が大きく世の中に浸透してきているのだろうと思う。

 中小企業が生き残れるためにはどうしたらいいのか。中小企業がなかなか元気になれないということを考えると、大企業に付いてやっていくだけということになってしまっているのではないのか。下請けの受注単価は下がる一方である。これを格差の拡大というが、過去の歴史に見ると、格差がどんどん広がっていくことを直すために、最終的には戦争で格差を是正していくという具合になる。日本の場合、そういうことは平和憲法があるし、当然できない。資本主義がどういう風になっていくのだろう、という不安がある。資本主義がなくなることはないと思うが、違った形の資本主義が今後はでてくるのだろうと思う。強きが勝ち、弱きものがどんどん弱くなっていく、ということではなく、やはりそこには人間的な経営が当然に求められてくるのではないか。

 中小企業がどういう風に生きていくのかを、我々も大局的な眼で見ていく必要があると思う。


H26.10.16 (10.14事務所にて)

 私がどういう形で国の政策を先読みしているかをお話ししよう。
今年の初めに経営者保証を不要とするガイドラインがでた。このような制度が出てきた時に、「変わったんだ」「今から勉強しなきゃ」と思った方はどのくらいいるだろうか。その前から勉強していた方はどのくらいいるだろうか。それが先見力の差だ。

私はどこから見ているかというと、『中小企業憲章』だ。平成22年6月18日に閣議決定され、基本理念、基本原則、行動指針の3つに分かれている。その行動指針の中で8つの具体的な取り組みが述べられている。例えば、

 1.中小企業の立場から経営支援を充実・徹底する
「経営支援の効果を高めるため、支援人材を育成・増強し、地域経済団体との連携による支援体制を充実する。」
と言っている。今になれば何を言っているのか分かるだろう。これは経営力強化支援法の認定支援機関の話だ。

 6.中小企業向けの金融を円滑化する
「中小企業の知的資産を始め事業力や経営者の資質を重視し、不動産担保や保証人への依存を減らす。そのためにも、中小企業の実態に即した会計制度を整え、経営状況の明確化、経営者自身による事業の説明能力の向上、資金調達力の強化を促す。」

と言っている。これは財務経営力の強化だ。ここで、会計制度を整えるということも言っているし、それが中小企業会計の基本要領になったし、経営者保証に関するガイドラインにもなった。また、財務経営力の強化、経営力強化支援法にも繋がっている。

 このように考えていけば、次に何がくるかは分かるだろう。『中小企業憲章』などをよく読んでいただきたい。そうすれば次に何がくるかは自ずと分かる。

 では、次に何がくるか。
いよいよあと1年半で2015年が終わる。2016年はどういう年になるか。今、赤字で苦しんでいる、資金繰りに苦しんでいる会社は淘汰の方向にいく。これは間違いない。今、国は、「経営改善計画を作りましょう」と言っている。それができない場合は、当面3年暫定リスケでいいと言っている。それはどういうことか。そもそも今まで会計がきちんとできていなかったから自社のいいところ悪いところが見えない。だから、1年目に「見える化」の管理会計を導入しようと言っている。そして2年目で課題を抽出し、3年目で本格的な経営改善計画を作ろうということだ。私もいくつかご支援をさせていただいてつくづく感じるのは、たぶんその波に乗れない会社が出てくるだろうということだ。既に1年半経っているので、あと1年半、つまり2016年からが集中淘汰の期間になるだろう。まだあと半年位は余裕がある。この半年以内に、本気で財務経営力が強化できるような社長に変ってもらわないと、1年半後の未来はない。そのことをしっかり認識していただきたい。
社長は目の前の売上がなくなったら、一家だけではなく社員も含めて路頭に迷わすことになる。そういう覚悟で仕事している。サラリーマンのように給料をもらっているのではない。そこが社長とサラリーマンの覚悟の差になるのだが、それでも間違えることがある。そういう方達がなぜ間違ったのかをきちんと明らかにしなければいけない。

 経営革新とか経営改善と言うが、これは経営者の革新・改善だと思っている。では経営者の改善とは何か。まさに経営者の心の改善なのだ。人間は個人も会社も心の傾向性が未来を作り上げていく。そして、その心の傾向性を作るのはその人の言葉だ。その人の言葉がその人の潜在意識に蓄積されることによって、いい未来・悪い未来が出来上がっていく。それが社長であれば、会社の良い未来と悪い未来ができてくる。そこを変えなければ根本的には変えることはできない。そんなの嘘だと思っている人に限って、10年、20年、30年経って、あの時やっておけば良かったと必ず後悔する。後悔は先には立たない。ぜひ事務所職員には、一人でも多くの悩める経営者の方を親身になって救ってあげていただきたい。変革のチャンスの期間はあと半年しかないのだから。


H26.10.7 (10.6事務所にて)

 日本の商売を成り立たせている基本的な考え方を自分なりに探っている。そんな中でおもしろい家訓と出合ったので紹介したい。
滋賀県の株式会社扇四呉服店の家訓だ。家訓は、経営理念のように端的に書かれているのが一般的だと思うが、ここは物語になっている。

『ある老商に店の盛衰の原因は何かと質問をしたら、その老商は次のように答えた。

「適切な場所を選び、適切な商品を商い、その際、利益を薄くして得意客を敬い、質素倹約を旨として、主人は油断することなく、また使用人は骨身を惜しまず働く。 これこそが家業が発展する基本であり、その基本を行えば、お客は集まり、店は必ず盛んになる。
そのようにして大店となり、財を成し、蔵が建つほどになり、親族は敬い、同業者も従うようになると、その店の権威は高くなる。
そうすると、主人はそれを誇るようになり、使用人も怠けるようになる。この時に衰退の兆しが現れるものだ。これが世の道理である。
だから、家業が成功して盛んになってきた時には、主人も使用人もすべて勉励を心がけ、 決して油断なく一日中栄利が増えるようにすれば、ますます家業は盛んになる。
これに反して、主人も使用人も驕って威を奮い、日々安心して家産は永久になくならないと思い、そのうちに秋風が吹くことを知らないでいると、衰退が始まるものであり、俄かに問題が起きて、初めて衰退を知ることになる。
その段階では、もはや挽回することはできない。この分かれ目を知るのは大変難しい、 しかし私はあなたのために一言助言しよう。
貴賎貧富にかかわらず、他を軽侮する気持ち、驕りが心に起こったら、その時が衰退の始まりであり、衰退をもたらす諸々の問題はここから起こってくるものだ。」
この言葉は間違いのない真理であると深く感じ、ここに世の人々に知らせるものである。』

 これが約400年以上続いている呉服店の家訓だ。人や会社が良くなったり悪くなったりする、この根本の真理を表していると思う。

 12月に明治大学リバティアカデミーで講演を頼まれている。テーマは「日本的経営哲学の源流を探る」だ。初めは、事業承継の話をしてほしいと言われたのだが、我々に頼まれるのは税務の話になる。しかし事業承継は税務よりも企業としてどのようにすれば永続していくのかという根本を明らかにしなければ税務もないのではないか。今回は扇四呉服店の家訓を基に、その基本的な考え方を分解しながら、より分かりやすく説明をしようと思う。ご興味ある方はぜひお申込み下さい。

 明治大学リバティアカデミー https://academy.meiji.jp/course/detail/2132/

8月

H26.8.19 (8.11事務所にて)

 「子、四を絶つ。意なく、必なく、固なく、我なし。」
 この捉え方で間違いやすいことがある。これは、怒りや喜び等の感情を全く無くせ、と言っているわけではない。大切なのは、それを長引かせない、ということ。人間なので、いろいろな喜怒哀楽は当然ある。ところが、中にはそれを石に彫り付けるように自分の心の中に彫り付けてしまう人がいる。もし辛いことがあったりした場合には、「流れる川の水に書きなさい」という。流れる川の水に書けば、さらりと流されていく。その一瞬、その瞬間にはそういった感情が起きてたとしても、それは流れていく。しかし、石に打ち付けるように掘り込んでしまうと、それが心の傾向性として残ってしまう。

 仏教の中では、『貧瞋痴(とんじんち)』という心の三毒を説いている。貪はむさぼりの心であり、瞋は怒りである。痴はおろかということ。これは人間としてどう生きればいいかという人間の真理を知らない、もしくは知ろうとしないことが愚かということだ。これられを無くすように生きればいい、と言っている。

 人間は全て一瞬一瞬なのだ。一瞬一瞬で起きたことを常にサラッと流していく。禅宗の教えにも「二念を継ぐな」といわれているが、これがそれにあたる。心の傾向性を上手く整えていくことが大事だ。利己的になるな、執着するな、決めたことにこだわるな、と言うが、中には絶対に自分が正しくて間違っていないと錯覚している人がいる。絶対というのはあり得ない。「間違えました」と一言謝ればいいのだ。その間違えを認めず、それを正当化しようとする態度が、(本人の)心の傾向性にとって非常に問題になるので注意したことがある。
 習慣とか教育などのいろいろな情報が自分の心の中に入ってくる。入った時にそれをそのままにしておくと、善いも悪いも全部潜在意識の中に落とし込まれる。その中で、この傾向性は受け入れない方がいい、この傾向性はきちんと取っておいた方がいい、ということを自分の心と対話しながらやっていくと、いいものだけが残っていく。それが人間の習慣になっていく。習慣になればそれが結果として表れる。良き結果を得るには、良い習慣をつける以外にない。皆さんの今は、過去数十年間の結果だ。自分が自分の道を選んでいる。
 心の傾向性を正すことを日々の習慣の中に組み込んでいただきたい。


7月

H26.7.30 (7.28事務所にて) 

毎月1回、帝国ホテルで朝8時から朝食を取りながら10時まで行われるシリウス研修会がある。これを主宰している船橋先生がとても素晴らしい方だ。元国税庁次長なのだが、失礼ながら元お役人らしからぬ、学者的な雰囲気のある人で、古典を徹底的に勉強している方だ。その船橋先生を慕って、一流企業の人達(社長や幹部)や金融機関の人達が毎回100名くらい集まる。一流の講師陣が招待されてお話しが聞ける、非常にレベルが高くありがたい研修会だ。

今回は、『資本主義の将来』ということで、東京大学教授の吉川洋先生の話を聞いた。久しぶりに大学の授業に出ているような感じがして、学生になった気分で聞いてきた。

 経済学の問題は2つある。

 1つは経済成長だ。今、アベノミクスで成長戦略をやっているが、いかに経済を成長させるかは国家の大きな課題である。そのためには資本主義がいいのか、共産主義がいいのか。あるいはその中間のフェビアン社会主義がいいのか。いろいろな主義主張があり、世界ではこれまで歴史的変遷があった。今の世界では、基本的に経済成長に最適な環境は資本主義であることは、全世界概ね意見が一致している。ところが、資本主義の最大の欠点は、格差問題だ。自由主義経済である以上、強きものが弱きものを駆逐していく。従って、強者と弱者の格差は広がっていく宿命を負うことになる。
 二つ目の課題はこの格差をいかにして縮小するかということである。言い換えると富(所得)をいかに公平に分配するかという所得分配の問題である。我々税理士(会計事務所)が日常携わっていることは、税を通じて所得をいかに公平に分配していくかということに他ならない。簡単に言うと強き大企業が儲ける。それを大企業から税金で徴収し再分配する。あるいは個人の高額所得者がいれば、税で徴収して貧しい人たちに再分配する。国家の役割とはそういうことだ。 所得分配の最大の理念は正義(Justice)だ。不公平ではない正しい分配、納得のいく分配である。

 7月24日の日経新聞に日税連が全面意見広告を出した。
 「税理士は提言します」
 「所得税の単一税率以上を提言します。軽減税率制度の導入に反対します。」
来年、消費税は10%になりそうだが、その時に軽減税率が導入されそうな気配だ。それに反対している。こういう提言をする基も実は正義なのだ。

 食料品の税率を低くすることは、一見すると正義に見える。しかし冷静に考えると、食料品はお金持ちもより多く食べるものだ。効果はお金持ちの人に及ぶことの方が大きい。つまり、弱者救済ではなく強者救済にもなってしまう。これは正義ではない。逆進性対策とよくいうが、一律に軽減税率を使うというやり方はもっとも非効率的な方法である。EU、ヨーロッパでは導入されているが、今、大きな問題が起きている。店で食べたら高くて持ち帰ったら安くなる。そんな馬鹿なことをやっている。だから、税務訴訟が絶えないという。

 今、世界中で所得格差が拡大している。英米加は特にそうだ。アメリカ、イギリス、カナダ、ここが右肩上がりに格差が拡大している。数字上は、上位0.1%(1000人に1人)で、全体の所得の8%を所持している。80倍の格差だ。日本は少し緩やかで、ちょうど20倍だ。もっと端的な例で言うと、アメリカの大企業の社長は一般社員の給与の300倍ももらっている例が珍しくない。
 歴史的に見ると、所得格差が拡大すると必ず戦争が起きている。戦争が起きると格差は是正される。日本でも第二次世界大戦の後、財閥解体があった。今、格差が拡大しているというのは少し怖い。世界では戦争が起こりそうな雰囲気が醸成されつつあるような気がする。日本は関係ないと思っているかもしれないが、人間は愚かしいし、ほとんどの人が戦争を知らないので、同じことを繰り返すかもしれない。
 成長戦略の問題も集団的自衛権の問題も、経済学の理論と絡めて考えると、理解が深まる。 


H26.7.18 (6.23 事務所にて) 

 先週末に古河ライオンズクラブの奉仕活動で石巻の学校に行ってきた。周辺の地域も回ってきたので今朝はその報告をしたいと思う。

 南三陸町は都市計画で建物を建てることができないので、旧市街地は全部家などなく、見渡す限りの野原である。一部で土盛り工事が始まっている状況だ。石巻の市街地は一部海岸沿いは同様な状況だが、多くは復興している。今回学校に行ったのは、この4月から旧学校の修復が終わり、生徒が戻って学校が再開されたので、その支援をするために渡波小学校と湊中学校を訪問した。
 震災時、渡波小学校は2階くらいまで水に浸かった。建物は3階4階建の鉄筋コンクリート造りのため破壊は免れた。従って、1階2階の浸水した部分を修復して、ようやく4月から再開にこぎつけたわけである。しかし、開校したものの生徒が半分くらいは戻っていない。家の建築が遅れて、避難生活を余儀なくされたり、あるいは遠方に引っ越してしまった家族、さらに不幸なことに亡くなったり行方不明の生徒もいる。復興未だしの感が強い。
 どうしたら生徒が戻るか。学校にとってそれが一番の課題であると説明を受けた。それには地域に家がどんどん建たないと生徒は増えない。その復興のシンボルとして学校再開がある。まず学校を再開しよう。そうすると住人がだんだん増える。学校が復興の中心、シンボル的なものにしようということで各地で学校の再開を急いでいるとのことだった。
 学校の復興や、大きな予算がかかるものは国がやってくれているからいいのだが、いざ学校を開くと、細かい様々な手直しをしなければいけないことがいっぱい出てくるのだそうだ。それをいちいち予算申請していると時間がかかってとっても間に合わないというお話なので、我々ライオンズクラブはそういうこまごまとした費用に充てて下さいとささやかではあるが、メンバーからの寄付金を贈呈してきた。両校ともとても喜んでいただき、我々も感動とともに改めて支援の大切さを認識した次第である。
 学校の校庭では、子供たちの元気のいい声が震災前のようにこだましていた。頑張れ東北、がんばれ子供たち! 

6月

H26.6.16 (6.9事務所にて) 

 今、スポーツが華盛りだ。ゴルフ、野球、サッカー。 全日本陸上競技選手権大会が福島で先日行われていた。

 先日、シリウス(セミナー)で福島大学の陸上部監督、川本和久氏の話を聞いたのでご紹介したい。
 福島大学は今や日本の大学陸上ではトップ校である。特に女子の陸上部がすごい。福島大学陸上部出身の女性が過去何人もオリンピックに出場している。福島大学は一地方大学であるが、川本先生はカリスマ監督といわれて指導を仰ぐ学生が後を絶たない。
 この監督が「スポーツは自己実現の場だ」と言っている。スポーツに限らず仕事もある意味そうであるが、スポーツほどハッキリ結果が出るものはない。陸上は何分何秒で走った、ゴルフはスコアをいくつでまわった、野球は勝った負けた、打率がいくら等、数字として表れる。自己実現した結果が明確になる。しかし仕事はそうはいかない。何十年か後で振り返ってみれば、よくやったな、と思うこともあるが、1,2年では結果は出ない。そういう意味では、スポーツほどてっとり早く自己実現できる場はない。それだけに、簡単にやる方が多いのだが、自己実現の場はそう簡単ではない。
 まず、仏教でいう発心。つまり決心をする。例えば、陸上なら「私は400mで世界を目指す」等の決心をする。その決心の強い弱いで、後の成績がガラッと変わる。監督は、その決心の段階でそれぞれがどれだけ強い決心をしているかを見極めなければならない。安易に「これをりたい」というだけでは全然成績は上がらない。
 発心をして、つらい修行が始まる。それに耐えられるかどうかは、発心の程度による。強い発心はどんなつらい練習にも耐えられる。逆に弱い発心ではすぐ挫折する。だから監督は学生の決心の段階からかかわっていく。そしてつらくて苦しい修行を通じて自己実現を図っていく。そして目標達成の喜びを師弟手を取り合い、涙を流して分かち合う。

 一方、修行には非常に科学的なトレーニング方法を採用しているそうだ。最新のトレーニング機器を使ったり、データ重視の管理をする。特に栄養管理、細胞で人間はできている。細胞は毎日2億個位入れ替わる。入れ替わるためにはきちんとした食管理をしないと体力は維持できない。筋肉のいろいろな細胞とか、どういうトレーニング方が一番筋肉がつくのか等、勘でやるのではなく、科学データを駆使してやっている、というお話しだった。

 発心や修行という精神論、そして具体的な練習は科学トレーニングを重視していく。両者相まって日本を代表する陸上チームに仕立て上げた、ということだった。 


H26.6.3 (6.2事務所にて)

 仕事があるのはありがたいことだ。忙しいと思うくらいの方がいい。
ある会社で新入社員が入った。ところがやることがない。やることがなくて、こんな楽なことはないと思っていたそうだ。しかし、いつの間にかその会社は潰れてしまった。当たり前の話だろう。何やっているかは分からないのだが、とにかく仕事に追いまくられている、そのくらいの方が本当は幸せなのではないか。

 先週もTKCで入社5年目の方を対象とした研修をやらせていただいた。このところ、入社何年目や新入社員等を対象とした、いわば社会人としての心構え等の関係の話をよく頼まれる。終わってから質問を受けたり名刺交換に来られる。自分たちが若い頃はなかなかそういう勇気がなかったが、素直に感動するところは感動し、その感情をきちんといろんな人に表現できるのが今の若い人の特質なのかもしれない。
講演の中でいつも話しているのは「時務学」と「本務学」についてだ。入社5年目くらいになると、どちらかというと技術的(システム的)な話の研修はよく受けているが、人間としてどう生きればいいのか、仕事は自分の人生にとってどういう意味なのかということを考えることがなかなかないそうだ。だからそういうヒントを差し上げた。非常に喜んでいただけた。もちろん両方大事、という話はさせていただいた。人が良くてもシステムが分かっていなくてとんちんかんな答えをしていたら、お客様に嫌われる。その逆も然り。だから両方必要なのだと話した。

 幸いながら、今回「TKC基本講座 第4版」が出た。今回非常に嬉しいことは、名前は出ていないが私が親しくさせていただいている方が相当執筆に携わっている。
今まではシステム編や巡回監査編等、3つに分かれていたものが1つだけになっている。何十年も勤めている方も改めて初心に返って、会計事務所の仕事は何なのか、TKC会計人はそもそも何が一番重要なのか等、再度振り返ってもらいたい。ぜひ自分の心の糧に、そして人生の糧に使っていただきたい。 


H26.6.3 (5.26事務所にて) 

 池田晶子さんをご存知だろうか。7年前に47歳という若さで亡くなった、美人の哲学思想家で、本も随分書いている。美人薄命を地でいったような哲学者だ。雑誌で彼女の記事を見て、なるほどと思ったので紹介したい。

 生や死とは何か、ということを哲学的に掘り下げた人で、彼女の言葉の中に『生と死は他力なり』というのがある。生や死は自力ならずということだ。つまり、自分の意志で産まれたわけでもないし、自分の意志で死ぬわけでもない。従ってこれはまさに他力である。自分が存知しないものになぜ人は悩むのか。特に「死」だが、これは自分の意志ではどうにもならないことではないか。それは自分にとっては「無」という存在である。いや存在自体もない。

 これは非常に仏教と通じるところがある。「人生無なり」。自分在りと考えるから悩む。「没我」であり「無私」である。「色即是空 空即是色」である。生と死、その間にある人生、それをどう考えるかによって人生が大きく変わってくる。

 私はよく「淡々と生きろ」と言っている。「得意淡然失意泰然」。それが今の池田晶子さんの思想につながるのではないかと思っている。
経営計画や企業の経営上、目標が大切だ。それを否定はしないが、目標ありき、というのは必ずしもいいことではないと考える。目標設定はそれほど重要なのか。目標があって、それに向かって一歩一歩階段を上がる、という表現をよくする。しかし、レンガを積み上げる如く、今日一日一日の積み重ねが結果として目標に達するのだ。私は後者の考え方が好きである。目標ありきで、それに向かっていこうとすると、これは人生にとって苦しみ以外の何物でもない。そうじゃないだろう。仏教的に考えれば「無」なのだ。この一日を全力で生ききる。その積み重ねが振り返ってみたら頂上にいた、となる。それが生き方としてベストだと思わないか。もともと生も死も他力なので、与えられた人生だ。だから、その与えられた人生をコツコツと毎日毎日全力で積み重ねて、そして80歳、90歳で死を迎える。人生はそんなもんだと私は思う。

 池田晶子さんの「生と死は他力なり、死を悩むことなし」というのは実に明快だ。中国の菜根譚「得意淡然失意泰然」。淡々としている。喜んで大騒ぎしない。日々淡々なり、という生き方につながるのかな、と感じた。 


5月

H26.5.15 (5.12事務所にて)

 福澤諭吉は、『一身にして二生を経る』と言っている。彼は江戸時代から明治に移り変わる時期、明治維新の時代に生きた人である。江戸時代の封建的な考え方、鎖国の時代から開国をして西洋文明がドッと入ってきたが、まさにガラッと時代が変わったのである。
 体は一つ(一身)だけれども、二つの世界を経験できた。それを「そんな幸福なことはない」と彼は捉えたのだ。古い日本の伝統と西洋文化の進んだ技術、それを両方体験できている。そんな経験は西洋人にはできない。古い日本的な良さと、西洋の進んだ考え方、技術を両方体験できる。それは大変素晴らしいことだ、と前向きに捉えているのである。西洋かぶれ的な考えではないというところが彼のすごいところだ。日本的な考え方も尊重し、取り入れながら、西洋の文化、技術も取り入れていく。一方的に古い日本を否定しなかったことが彼の素晴らしいところであった。

 自分の人生には節目がある。一身にして何生を経るかは各々あると思う。
私自身は卒業して養豚業をやった。これは一つの一生だ。一つの大きな節目である。それから税理士を目指して今ここまできている。これは二生目。たぶんこの先三生目があるだろう。リタイヤしてからの人生だ。「一身にして三生を経る」となるのかな、と自分では思っている。

 皆さんはまだ若いから、老後のことなど考えていないだろうが、今それが非常に重要な問題になっている。60歳や65歳で引退をすると、死ぬまで30年間位人生がある。その二生目か三生目をいかに生きるかが非常に重要なテーマになっている。
皆さん方も、人生の転機が訪れた時に、過去の一生目を否定するのではなく、それを礎にして次のステップにすることが大事だ。一生目を悩む人がけっこういて、過去を否定する人がいるが、福澤諭吉のようにそれを前向きに捉えてみよう。良い悪いは当然あっただろうが、それがあるから今の自分がいるのだ。過去はこういう生き方をしてきた、それを否定するのではなく、それを次のステップにして二生目、三生目を確かに生きていくことが大事だとこの言葉から学びたいと思う。 


H26.5.7 (4.28事務所にて) 

 少し前に、幸福度の話をした。
人は何に生き甲斐(幸福)を感じるか。家庭が一番で、二番目が仕事、三番目が健康である。

 今回はその家庭について話をさせていただきたい。
福澤諭吉の家庭論。
彼が活躍した明治時代に『人倫の大本は夫婦なり』と言っている。人の道の大元は夫婦だ、と明治時代に言っているのだ。これはすごいことである。江戸から明治にかけて、日本は儒学、儒教の教えが浸透していた。つまり忠君である。君主がいて、それに忠義を尽くす。そして、家では親がいて親に孝を尽くす、忠孝の教えが世の中の基本であった。そのため、当時、夫婦は二の次、三の次だったのである。

 結婚して他家に嫁ぐということは、そこの親に孝を尽くす。それが第一で、夫婦は二の次になる。「嫁して三年、子なきは去れ」嫁に行って三年子供ができなければ離縁してもいい、という時代。女性を物としか扱っていない時代だった。そういう時代に、「人倫の大本は夫婦なり」と言ったのはものすごく勇気のいることだった。

 「日本婦人論」で「夫婦が人生の基礎だ」と言っているが、猛烈に批判をされる。当然、親に対する孝なので、嫁は舅・姑にきちんと仕えなければならない。旦那は旦那で位の高い人はほとんどがお妾さんをかこっていた時代である。そういうことが当たり前の時代に、夫婦が対等で合協力してやらなければいけないと唱えたことは、命を狙われかねないような、大変な勇気のいる主張だった。
 『人倫の大本は夫婦なり』これは今でこそ当たり前かもしれない。やはり、人間のベースは家庭だと思う。人が幸福を感じる、逆に不幸を感じる、これは家庭がまず第一となる。夫婦が生活のベースである、ときちんと考えて生きる必要があるとつくづく思った。家庭を蔑にすることは、人の道に反すること。また、自分自身が充実した人生を送れないということに繋がる。改めて、明治時代の福澤諭吉の言葉をかみしめて生きていきたい。 


4月

H26.4.23 (4.21事務所にて)

 本気で論語の素読をしたら人間の潜在意識に落とし込まれる。その潜在意識は、善い悪いを判断しない。落とし込まれたものは何でも、いつの間にか現実となって現れる。いいものを落とし込んでいけば結果としていつの日か浮かび上がってくる仕掛けになっている。20年30年先を楽しみにしていただきたい。

 仏教と論語の話をさせていただきたい。
仏教はいろいろな宗派があるが、元々はお釈迦様が説いた教えなので、お釈迦様の言葉が残っている。弟子たちが結集してお経を編纂していった。それを見ていくと面白いことが書いてある。「ただ独り犀の角のように歩め」等、一人での修行を重視する。これは当たり前の話だ。そもそも仏教とは自分を律することだと思う。他人はどうあれ、自分はこうあるべきだ、このような人間になる、と律するのが仏教だ。
 それに対して論語の中心思想は「仁」だ。「仁」とは、人が二人以上ということだ。人と人との関係の中でより人間関係を上手くやっていく術は何なのかを体系化していったのが論語なのだ。どちらを理解しておくとより社会生活を営みやすいかというと当然ながら論語の方だ。人間としてどう生きれば周りの人々と関係付けが上手くいくかどうか。例えば、「君子は義に喩り、小人は利に喩る」とよく言うが、我利我利亡者の人とは友達付き合いしたくないではないか。嘘つきや人のせいにする人とも友達付き合いはしたくない。そういう人間にはなるな、ということを論語は言っている。逆に、こういう人と友達付き合いしたい、こういう人と仲良くなりたいと思われるような人間になった方がいい、というところから始まり、それが組織のあり方、国のあり方というところまで消化しているのが論語なのだ。

 いろいろなところにいろいろな言葉が載っているので、なかなか読みづらいかもしれないが、本質的に人間とは何ぞや、人間どう生きればいいかということを自分なりに確かめたい場合は、やはり仏教まで行くべきだと思う。そうすると、自分の律し方、自分の歩む道が見えてくる。前にも話したが、昔と違って仏教も非常に易しくなっている。そういう簡単な訳でも結構なので、論語が終わったらぜひ仏教も読んでいただきたい。


H26.4.22 (4.7 事務所にて)

 『経済成長がすべてか』
このタイトルに惹かれて買って積んでおいた本を、昨日少し読み始めた。実はこれは経済学のように見えたのだが、教育学の話だった。大学でも今、教養教育や人文教育といったものが蔑にされている。企業でも、「その科目は仕事に役立ちますか?」ということを言う。そうなると、即戦力につながりにくい教養科目は追いやられてしまう。しかし、本当に大事なのはそちらではないか。

 4月5日(土)に東京4会の新入職員研修の講師に招かれた。そこで、論語等の文書を紹介しながら、仕事に直結する勉強は時務学であり、本当に大切なのは本務学だ、という話をした。
今回は職員の質が変わってきている。中には既に資格を取っている人や大学院を出た人、学生時代に何科目か取って就職している人が多くなった。頭がいいだけではなく、人間的な力もついてきている。よく年寄りが「今の若いものは・・・」と言うが、私はそうは思わない。先日の研修会終了後、講師の控室まで訪ねてきてくれた人もいる。今までの研修会ではなかったそうだ。積極的な態度をとる若者が出てきたと、ありがたく思った。

 研修の中で今回は仏教からの言葉を紹介したので、再掲しようと思う。
「他の人の過ち、他の人のしたこと、しなかったことを気にするな。自分のしたこと、しなかったことだけを見よ」
これは、仕事でもそうだが、あの人は何もやってくれない、あの人はきちんとやらない等をみんな気にしてしまう。しかし本当に大事なことは、自分のしたこと、しなかったことに目をむけることだ。
「自分は愚か者だと自覚する人は即ち賢者である。自分は賢者であると自惚れる人はまさしく愚か者である」
「努力すべき時に努力せず、若くして活力ある時に怠け、意思弱く、思考せず、怠惰な人は叡智によって道を見出すことはできぬ」
ここで大切なことは、「考える」ということ。今はインターネット等でどんどん情報が入る。それをサラッと見て、こういうことか、と思ってしまう人が多い。このような人の勉強の仕方や人生の中身も薄っぺらいのではないか。多面的に見てみる、自分なりに考えてみる、つまり、思考することによって本当の自分の考え方が固まってくるのではないか。若いうちにそういう訓練をした人と、そういう訓練をしないでそのまま人生を終わろうとしている人とでは大きな差が出るのではないか。56歳になってつくづく思うのは、周りの同級生やいろいろな人を見てみて、人生は本当に正直だと思った。若い時にへらへらやっていた人間は、やはりそれなりの人生しか歩めていない。当法人の経営計画書に読書記録を書けと言っているのは正にそういうことだ。若いうちから癖付けすることだ。
「実践すれば叡智が生まれ、実践しなければ叡智は消える」
会計事務所の職員もけっこう頭が良い人が多いので、本を読んだり人の話を聞いたりして分かったフリをする人がいる。しかし、分かったフリとできることは大違いだ。だから、「実践しなさい」と最後にメッセージを送った。

 『ブッダの真理のことば』という書籍がある。原始仏教といわれてる、お釈迦様が実際に法話として説いたものをお弟子さん達が一つのお経にまとめたものだ。今までは中村元先生(東大の仏教哲学者)が訳した本が岩波文庫から出ていて、それが一番良かった。つい最近、今枝由郎先生が「スッタニパータ」「ダンマパダ」を訳したものが出版された。これは非常に分かりやすい。ぜひ読んでみていただきたい。
また、皆さんが一つでも実践されることを期待したい。


H26.4.22 (4.7 事務所にて)

 「幸せの経済学」という話をしたい。
『幸せの経済学』と言う橘木俊詔氏(同志社大学教授)の書籍がある。
経済とはそもそもどういうことなのか。大学等で経済学を学んだ方なら「効用」という言葉を聞くと思う。「経済は効用の最大化にあり」ということがいわれる。効用の最大化とは幸せを最大に高めること。効用とはユーティリティ(Utility)である。究極的には「幸せの最大化」ということが古来から経済学の目標であった。ところが、最近の世界の状況を見ると、必ずしも国の経済政策が幸せの最大化に向かっていない。

 例えば日本。
※幸福度:(幸福度の視点はインフラや社会福祉、教育、医療等、いろんな分野10数項目で満足度を計る)
日本の幸福度はどのくらいかというと、178ヶ国のうち90位、先進国34ヶ国中では19位だ。日本のGDPは皆さんご存知のように世界第3位なのに、なぜ日本の幸福度が低いのか。
 一番幸福度が高い国はデンマーク。デンマークは国民の負担率(税金等)が65%と非常に高い。信じられない数字だが、福祉が充実しているため、老後が安泰であり国民の不満はない。しかし福祉が充実しているから幸福度が高いというわけではない。政府と国民との間の信頼感がとても強い。それだけ取られても必ず自分に戻ってくるという信頼がある。払っても将来もらえないのではないかという不安は一切ない。日本とはだいぶ違う。
 そして、福祉をタダで受けることを徹底的に排除している。いい思いをするなら払いなさい、ということが徹底している。それも一種の信頼感だ。タダで国からお金を受けることが徹底的に排除されているのだ。日本のように、不正をして失業保険をもらおうなどということは許さない国である。経済自体も常に先進産業にどんどん特化している。経済的にも活発な国だ。

 ブータンは世界178ヶ国中8位。一人あたりのGDPは162位と低いが幸福度は非常に高い。その理由はいろいろあると思う。仏教国ということもあるだろうし、幸せの考え方の原点が我々と違う。物質的なものに幸せを感じないというところがある。

 そうすると「幸せ」とは何だろう。経済だけではない、ということになる。もちろん先進国の方が比較的幸せ度は高いのだが、経済ばかりではないということが明らかに分かる。

 日本人の幸福度を見ると、男性と女性では女性の方がはるかに高い。そして年少と年配とでは年配の方が高い。一番幸福度が高いのは、50~60歳代の女性。一番低いのは、20~30歳代の男性である。
幸福度には様々の要素がからんでいるが、国民性も大いに関わっている。例えば、アメリカは楽天的な国民性、日本は割と悲観的な国民性と言われている。そうすると物事を悪い方に考える国民性ということも日本人の幸福度が低い理由かもしれない。

 何に一番生き甲斐、幸福感を感じるか。
   一番目は家族
   二番目は仕事
   三番目は家庭
   四番目は娯楽
   五番目は学習
   六番目は友人

 やはり、幸せの原点は家庭にあり、家庭・家族が一番重要なことが分かる。いろいろな分析をしていくと、それぞれ自分の生き方、家庭、家族、仕事・・・、そういうことが自分の幸せ度に大きく影響している。逆に言うと、それらの要素をいかに満たしていくかが幸せに繋がる。詳しくは『幸せの経済学』を読んでみていただきたい。


3月

H26.3.17 (3.10 事務所にて)

 先週、御殿場の叔母(母の妹)が亡くなったので、通夜と葬儀出席のため生まれ故郷の御殿場に行ってきた。叔母は94歳だった。母は97歳で亡くなったが、まだ2人妹がいる。1人は90歳を超えている。母親の系統はみな長生きである。御殿場には10歳までいたので懐かしい。白雪がすそ野まで引いている真冬の富士が、昔のまま迎えてくれた。

 せっかく御殿場に来たので、両親の墓参りをしてきた。
墓前で久しぶりの墓参を詫び、また元気で働けている現況を感謝して報告した。

 葬儀で親戚一同が皆集まると、つくづく縁というものを感じる。また、葬儀に参列している子供や孫たちに会ったりすると、やはり縁で繋がっているなと感じる。『輪廻転生』を思う。何万年と続く人類親子の鎖に畏怖の念を覚える。お坊さんもそういう話をされていたが、やはり自分一人では生きていないな、と思う。両親がいて、祖父母がいて、またその上がいて、延々と連鎖は無限に繋がっている。そしてこれからも続いていく。これはだれも否定できない絶対的な真理である。
 日常の生活では血の繋がりを意識することは余りないが、葬儀があったりして縁者が一堂に会するとき、自分以外の他の存在を感じる。自分の力だけで生きているのではなく、自分に関係するすべての人に、社会に、国に、世界に、さらに大宇宙に生かされている自分を確認する。雄大な富士を仰ぎ見るとき、その感慨は一入なものとなる。
 皆さんもぜひ、墓参をして縁は延々と繋がっているということを意識し、生かされている自分を認識し、周囲のご縁に感謝をしながら生きていってほしい。


2月

H26.2.26 (2.24 事務所にて)

 皆さん、成長していますか?
成果を手にするためには成長が必要である。人間は死ぬまで(死んでも)成長だと思う。その成長意欲を失った時がその人の事実的な死であると思う。

 なぜ人間は成長を宿命付けられているか。世の中の法則の中に「生成発展」がある。陽明学者の安岡正篤先生は生成化育と言った。世の中のものは留まることをしらない。変化の中に成長を宿命付けられている存在だ。我々自身がそうなのだ。成長しなければ生き残ることができない。そして成長することが自分を磨くことにつながる。成長することが、即ち成果を手に入れることだ。必ず、昨日よりも今日、去年よりも今年、確実に成長しているかどうかを常々考えていかなければならない。一度立ち止まって反省してみる必要があるのではないか。ここで私が言っている成長とは、単に税務会計が分かるようになったというだけではない。それは我々の仕事をやっていくための時務学として必要だが、それ以上に大事なことは本務学を合わせながら成長させていかないといけないということだ。そのあたりをきちんと日々反省しながら発展につなげていただきたい。


H26.2.17 (2.10 事務所にて)

 アメリカのアリス・モース・アール女史の言葉を紹介したい。

『Yesterday is history,
 Tomorrow is a mystery,
 Today is a gift.
 That's why it is called the present.』

昨日はもう終わったこと、もう元には戻れない。
明日は何が起こるか分からない。
そして今日、今は贈り物、与えられたものだ。
「きのう」、「あした」を思い悩むのは止そう。「きょう」を精一杯生きよう。

今という時間は、万人に天から与えられたもの。一日24時間、86400秒、これはみんな平等に与えられているgiftなのだ。このgiftは「present」と呼ばれている。「present」には「今、現在」という意味もある。それとgiftとかけている。いい言葉でしょう。
与えられた86400秒をどのように使うかは皆さん次第。今、オリンピックをやっているが、0.1秒で負ける選手もいる。1分遅れて電車に乗り遅れる人もいる。朝の1時間を寝坊して遅刻する者もいる。そんな具合に、時間はみんなに平等に与えられているが使い方によって明暗を分ける。「Time is money.」という言葉もある。どう使うかはあなた次第だ。今日、今の時間を大切にしていただきたい。


H26.2.17 (2.3 事務所にて)

 最近、何人かの青年会議所関係者の人と会った。40歳過ぎてから大成する人とそうでなくなる人がいる。例えば、青年会議所の時は非常に頑張っているが、40歳過ぎると鳴かず飛ばずの人、40歳まではそこそこなのだが、40歳過ぎると飛び抜けて伸びる人がいる。その差は何なのか。それは「志」ではないか。
青年会議所は、明るい豊かな社会の創造を目的にいろいろな事業活動を行っている。しかし自分の会社が上手くいかないのにいい世の中を創りましょうと言っても、それは逆ではないかと言う人もいるだろう。
会社は社会に生かされている存在だ。社会が明るく豊かでなければそこに会社は存在できない。だから、いい世の中を作ることが会社の生存領域を拡げることになる。自分のことよりもちょっと周りのこと、ちょっと周りのことよりももっと広く考えている人の方が実は成功しやすい。青年会議所で基本理念を唱えて、本気で腹の底まで落ちた人が40歳過ぎてから伸びているのだと思う。ところが、そんなこと言うよりも自分の目先のことの方が大事だと考えている人は、やはり目先のこと、自分のことしか考えられない人生になっているのではないか。

 仏教の中で「自利即利他」とある。
もともと小乗仏教は「自利」なのだ。自分がどうやれば仏様に近づくことができるかという修行の方法論を唱えたものだ。大乗仏教は「衆生済度」、もろもろの人、社会を救っていく。小乗仏教の中で自分を確立することを悟りと言うが、大乗仏教の中では人を救っていくことを悟りの一類型として考えている。当法人は経営理念として「自利利他」と言っているが、その言葉の中に自分のことだけではなく、世の中全体を良くしていく、という志が入っている。そこを単に「お客様の喜びが我が喜び」という矮小化したようなもので考えて欲しくない。もっと深く本質を突き止めていけば、どういう志を持って勤勉に努力をすれば成果が出るかは自ずから分かってくるのではないかと思っている。

 二宮尊徳が、成果を出すためには勤勉、努力の前に至誠がある、と言っている。真心を持って人よりも努力してやっていけば、結果として成果は出る。その成果を自分の為だけに使うのではなく、分かち合うことによって潤いのある世の中にしましょうと言ったのが、二宮尊徳の考え方の根底にある。二宮尊徳は、畑を耕すことを目的としたのではなく、まさに潤いのある世の中を作るがためにあのような方法論「仕法」を説いた。そういうことを考えれば、あの時代にどういう社会を目指していたかが良く分かる。その社会を創造するために人々に仕法を伝えていったかが分かるのではなかろうか。


H26.2.4 (1.27 事務所にて)

 先日、世間を騒がせた冷凍食品農薬混入事件の犯人が捕まった。
彼は会社の非正規社員で、待遇や給料、扱い等、会社の方針に不満があり、それが農薬混入の大きな動機だと言われている。

 人間は社会や他人に不満を持つと不幸になるという典型的な例である。人間はいろんな物事に不平不満を持ち易い性格の人とそうでない人がいる。不平不満を多く持つ人は、問題、事件、事故を起こし易い。そして、自分や周囲の人々を不幸にする。

 人はどうして不平不満を持つのだろうか。会社内でいうと、給与、処遇、上司の評価や態度、そういうものへの不平不満が非常に多い。その原因は、円の中心に自分を置くからだ。「自我」中心の思考回路に問題がある。自分は正しくて、他のまわりが全て間違っているという発想が原点となる。これは、生まれ育った生活習慣にその性癖の基がある。自分の心に不満の芽が芽生えたら、一呼吸置き、逆転の発想をして、他を中心に置いて自分の考えは間違っていないだろうか、と考えられる人間は、絶対に不平不満は持たない。持っても消えていく。

 私も完璧にできるわけではないが、これまでこの自己客観化をずっと意識して生きてきたことは間違いない。だからどうしようもない不平不満を持ったことは一度もない。かっこよく聞こえるかもしれないが、基本的には他のせいにせず自分がやればいいのだ。自分が給料を50万、100万万取りたいと思ったら自分がそれを目指せばいい。月給が少ないのは他人のせいではない。

 なぜそういう考えに至らないのか。それはいろんな研修、勉強をしていないからではないか。心は生まれたまんま、体だけが成長しただけ。自我の典型は赤ん坊である。世の中この赤ん坊人間がなんと覆うことか。非常に残念なことだ。

 「運命自招」まさに自らの運命は自ら招いている。今の境遇は自分が招いたことである。他のせいではないことを自覚しないと人生は不幸になる。このことは皆さんに私は口を酸っぱくするほど何回も言ってきている。なんで自分をいつも中心に置くのか。他を中心に置いたら不平不満はない。そういう環境が嫌だったら自分が努力するしかない。

 いろんな勉強をする、いろんな本を読む、いろんな人の考え方を聞く、そういうことで自分が磨かれていくので、自分自身に凝り固まらずにぜひそういう勉強をしてほしい。自分に不平不満の芽が出てきたら、相手のそういう考え方もあるな、というように思えるような人間になっていただきたい。


1月

H26.1.21 (1.20 事務所にて)

 ある雑誌を読んでいたら、佐藤真海さんの記事が載っていた。皆さんもご存知だと思うが、オリンピック招致でプレゼンテイターとして活躍した。彼女は大学(早稲田大学)の時に骨肉種になって右足膝下を切断し、義足をつけている。パラリンピックの走り幅跳びの選手で活躍をされている。

 彼女の話の中に、『believe in myself』という言葉があった。自分を信じなさい、ということだ。それがとても心に残った。
ひとはいろいろなことにチャレンジをするが、その基となる心の要素は「自分を信じること」だ。つまり、自分に自信がないと物事にチャレンジできないし、する気にならない。これは実に心にジーンとくるフレーズだ。自分に自信がないと何事にも消極的になってしまう。前向きに生きるには、自分に自信を持つことが大切なのだ。
彼女は、早稲田に入りチアリーダーをやっていて活躍をし始めた頃に発症してしまった。彼女は足を切断するという大変な挫折で悲嘆に暮れていたわけだが、しかし義足でもスポーツができることを知り、光明が見えたのである。落ち込んだ自分をスポーツがいかに自分を奮い立たせるかということを感じたそうだ。スポーツが彼女を救ったのだ。元のように何でもできるという自信が彼女を立ち直らせた。今、サントリーに勤務して、社会貢献の部署に就いて、全国各地を講演したり、子供にスポーツの楽しさを教えている。そして『believe in myself』ということを訴え続けている。

 私も70歳になるが、振り返ってみると、結構「自分を信じる」ということができている気がする。これは私の母親の遺伝である。母は前向きに生きた強い女性であった。前向きに生きるというのは自分に自信がないと前向きに生きられない。その遺伝子は母親からいただいたな、とつくづく思う。これは大変ありがたいことである。

 TKCの飯塚前会長が、「自らに限界を設けていないか」と言っていた。自分はできないんじゃないか、自分にはとても無理だ、という風に最初からあきらめていないか。あきらめたらその人の人生はそれで終わりだ。無限の能力はみんな各自備わっているので、ぜひ自信を持って何事にも取り組んでいただきたい。


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