2017年

10月



H29.10.18(10.16事務所にて)
 

 社内の構成員が一定の目的意識を共有し、かつ一定以上の力量がある場合は非明示型指示ができる。阿吽の呼吸というものである。従ってこれは受入側にも問題がある。何も与えられないから何もできない、という考え方の人は、一生かかってでも直していかなければ伸びることはない。これは心の傾向性なのだ。若いうちにそういうものを矯正していかないと、いつまでたっても指示待ち族になってしまう。個別具体的指示を与えられないとやれないという人間はロボット以下だ。AI等の機械化が進んでいった場合にロボットと代替されるいの一番の人間になる。


 さて、当事務所の目的は何なのか。これは事務所経営計画書に全て書いてある。「幸福社会を創造すること」が事務所の目的だ。法人の理念というより私自身の考え方だ。本来は目的達成のための手段である「早期経営改善計画」や「FinTech」等が目的化してしまっては困る。


 これからこういう世の中が来るだろう。一般の人は3日くらいしか仕事がなくなるのではないか。AI等に置き換えられて、製造業などで自動化が進めば、そのラインに入る人がいらなくなる。機械を持っている資本家だけが潤うようになり、労働者はどんどん貧困化してくる。それをそのままにしたら、いくら穏やかな日本といえども暴動が起きる可能性があるのではないだろうか。それを防ぐ、あるいは抑止するのは「分かち合い」の思想であり、制度的に措置しなければならないと思う。一例としてロボット税やAI税を導入することが考えられる。償却資産税は今、全国で1.4兆円ある。今の日本の雇用者所得(給与)は凡そGDP6割と言われている。今、GDPは統計が変わって540兆円と言われているが、500兆円とみて、その6割は約300兆円。その300兆円のうち150兆円程度をAI税で賄えれば、償却資産税だけ考えた場合は今の100倍、1億円の機械を買ったら1.4億円を払う、という方向にならざるを得ない。若しくは別の代替財源で賄う。いずれにしても雇用者所得の半分を何らかの税金で充て、それを給付すればいいと思う。ベーシック・インカムという考え方である。一世帯当たり月約20万円、これで最低限の生活はできる。それ以上は働いても良いし、働かなくても良い、ということにしたらどうか、と思う。


 では、人間は何のために生まれてきたのだろうか。自分の役割を仕事を通じて気づく人は多い。ところが、仕事がなくなった場合に、そういうことを気づかずに自分探しを始める人が増えるのではないか。そのような人を手助けするようなメンターがこれから必要になってくる。いずれにせよ、叫ばれている「働き方改革」を超え、仕事の基本的な概念が今後大きく変わってくるだろう。

今年度の基本方針もそのようなことを踏まえながら書いていることをご理解いただきたい。



H29.10.17(10.10事務所にて)
      

 論語やなどの古典には、日本に伝わっている有名な言葉があるが、次に続く言葉を理解している人は少ない。


例えば、本日の「後世畏るべし」。この言葉は人口に膾炙しているが、実はそれに続く言葉が大事なのだ。「四十五十にして聞こゆること無くんば、斯れ亦た畏るるに足らざるのみ」。当時の寿命は四十五十くらいだ(孔子様は七十過ぎまで生きたが)。これは四十五十まで努力するというのではなく、一生続けなければならないということだ。四十五十で良い地位についても、それで努力しなくなる人はその後転落していく。また、本当の努力をしている人、いいことをしている人は必ず誰かが見ている。世の中はものすごく正直だ。四十五十になって何もやらない人はそれなりの人だ。努力をしている人は、その組織で認められなくても、別の会社からヘッドハンティングされたり、別の立場で頑張らないか、と言われることもある。


 また、本日の解説()のように安易にネットの情報だけで分かったつもりになるな、と言いたい。論語の本もいくつも出ているので、本を読んで、しっかり原典にあたっていただきたい。そしてそれを素直に受け止め、きちんと解釈し、分からなければいろいろな人に聞く。そして、実生活や人生に応用してみる。その繰り返しを続けることで、自分のレンズのゆがみを矯正していく。これを習慣化するまで若いうちはするべきだ。


※事務所では毎月曜日に論語の素読をし、担当者が解説をすることになっているが、ネットで調べたことだけで自分が分かっていないことを受け売りのように解説したことによる理事長からの戒め。

         

H29.10.6(10.2事務所にて)
           

 なぜ論語の素読を行うのか。潜在意識に落とし込むことが大事だからだ。

今、新刊の原稿を書いているが、最後の章で「山田方谷」を書こうと思っている。江戸時代末期の人間なので、経済学も分からなければ会計学、財政学も分からない。それが67年の間に今で言うと200億円を溜め込んだという日本で一番の財政改革者だ。方谷の根本原理は陽明学。


 今、多くの情報が錯綜している。いろいろなものを取り込むことはもちろん重要だが、それ以上に重要なことは、それが本当に原理原則に照らし合わせて正しいのかどうかを判断することであり、そのためには判断基準を持たなければいけない。論語や大學はその判断基準の宝庫であり、ぜひそれを活かしていただきたい。


 素読という、声に出して読む行為は自分の潜在意識に落とし込むために行うもので、それが4050代になり方向性を間違えないような意思決定をする立場になった時にぶれずに意思決定ができるようになる。これを若いうちに学んでいないと意思決定時にぶれる。結局は時流に乗ればいいと時流を追い求めようとする。しかし、「時流に乗る者は時流によって滅ぶ」と易経でも言われているように、我々は時中をきちんと掴まなければいけないのだ。これも結局は根本原理を体得しているかどうかにかかっている。


 若い人だからこそ論語や大學等を若いうちから学んでほしい。そうすれば4050代になった時に一角の人物になると思う。学ばないでいると凡百の人間になるだろう。選ぶのは本人だ。私は60年近く生きてきて、この生き方は間違いなかった、と確信している。

9月

  

H29.9.11(9.4事務所にて)
          

 『生きることは学ぶこと、学ぶことは生きること

佐藤一斎の言志四録「言志晩録」第60条に三学戒というものがある。そこに

「小にして学べば、則ち壮にして為すことあり

 壮にして学べば、則ち老いて衰えず

 老にして学べば、則ち死して朽ちず」


 私は学生時代にこの言葉に出会い、これを指針として生きてきた。

「小にして学べば、則ち壮にして為すことあり」・・・若いうちに学べば、壮年になってから社会に有用な一角の人物になる。この学びというのは本務学、人間学の話だ。

「壮にして学べば、則ち老いて衰えず」・・・壮年(今で言うと3040代)の時に学べば、年を取ってから(5060代それ以上になっても)衰えない。

「老にして学べば、則ち死して朽ちず」・・・年を取ってから学べば、死んでからも名が残る、ということ。


 私は来年60歳になる。老いてから学ぶことを考えて、今、テーマを決めて本を買い集めている。遅くとも70歳までには自分の人生の集大成となるような本を書くと計画している。日本の経営哲学の源流を探り、どのように変遷してきたか、どのような価値を持っているか、それらをまとめて一冊の本にしようと思っている。これが終われば自分がやりたいと思っていることは完成する。


 本を読むことだけが学びではないが、今の身体の状態は半年前に食べたものによってつくられる、と言われる。3か月~6か月で人間の細胞は変わる。それと同じだ。今の精神状態は3~6か月前に出会った人と読んだ本によって変わってくる。同窓会等で、ものすごく伸びている人もいれば鳴かず飛ばずの人もいる。その差は何なのか。それは日々の学びの質と量なのではないか。真剣に学ぶことによって目的意識を持ち、それに向かってチャレンジできる。そういう生き生きとした生き方ができる。

「生きることは学ぶこと、学ぶことは生きること」、この三学戒をじっくりとかみしめて、今まで以上に学びとその実践を深めていただきたい。

 皆さんは何のために学ぶのだろうか。自分を高めることも大事だが、自分が立身出世をしたいとか、いい暮らしをしたいとか、それを目的に学んでは本末転倒だ。古人は「世のため人のために自分を活かすために学ぶのだ」と言っている。我々も、自分を高める学びは結果として世のため人のため、世の中を良くしていくために学ぶ、ということを根本に置きながら邁進していきたい。


6月



H29.6.20(6.19事務所にて)
           

 次年度の経営計画には、今後皆さんの仕事がどうなるかを自分なりに提示しようと思っている。

例えば、車が自動運転になると、車の年間販売数はどのくらい減るだろうか。5%という予測がある。5%減るということではない。20分の1になるということ。今現在置いてある車は、「遊んでいる」状態。自動運転になって共有できてウーバーのようなサービスが普及したら、空いている時間に人を乗せて稼げる。今、皆さんの車の稼働率は何%だろうか。100%に近づけて稼働するのであれば、今の台数はいらない。2020年には実用化すると言われているが、すぐには変わらないので、20252030年くらいだろう。シンギュラリティという言葉を聞いたことがあるかもしれないが、その前兆が2030年頃と言われている。そこに向かって加速度的に変化している。変化の法則はまっすぐではない。今は小さな変化だが、その小さな変化の兆しを見抜くために易経等を学んでいる。


 我々の仕事についてどうなるか。FinTechというと銀行信販データの連携とだけ思っている人も多いが、それは一部に過ぎない。証憑ストレージサービスがあるが、領収書の読込ができると、それが原本になる。そうするとPC画面上で見ることができる。セキュリティさえきちんとしていれば、自宅でも見られる。自宅で仕事ができるようになるということだ。そういう時代がやってくる。基本的な相手先や金額については、コンピュータがAIで自動的に全て照合してくれる。昔のように、領収書見て、請求書見て、監査するということがなくなる。それが巡回監査だと錯覚している人は大量失業の憂き目にあうだろう。

 FinTechの中核技術はブロックチェーンだ。ブロックが鎖のように繋がっていく。一つのブロックに一つの取引が書かれる。AからBに商品を送った、お金をいくら払った、等々。それが契約書となる。いついつ販売するとなったら、それを自動実行する。そういう時代が目の前に来ている。契約書もない、納品書もない、請求書もない。その信頼性をどう証明するか。ある本には、ブロックチェーンは「帳簿だ」を書かれている。一つのブロックチェーンを次につなげる時に、自動的に前の取引が正しいことを第三者が証明する。ブロックチェーン毎に繋がっているものは全て第三者が自動的に証明をするので、それは真正なものだということになる。我々の仕事である決算書の信頼性をどのように監査していくかの概念がガラッと変わる可能性がある。いずれはブロックチェーンのデータから自動的に会計のデータに引っ張るような時代になるだろう。それが当たり前の世の中になる。


 見える人には見えるが、ほとんどの人には見えていない技術の大激動の中に今生きている。

ビットコインなどの仮想通貨の中核技術も実はブロックチェーンだ。ブロックチェーンによって信頼性が保たれている。そういうものにも興味を持ちながら、自分なりに情報収集をしていただきたい。ドラッカーの言うように、我々にできるのは変化の先頭に立つことだけなのだから。



H29.6.15(5.29事務所にて)
                 

 今日は相田みつおの「一寸千貫」という言葉について話そう。


 一寸は3.3センチ、千貫は3,750キロである。意味は一寸の角柱が何と千貫の重さを支えることができるということである。ただし、一寸の角柱がまっすぐ立っていればのことである。

これは、一人一人の小さな体(心)でもまっすぐな心を持っていれば、どんな苦労にも負けないで生きていけるということである。

 相田みつおは仏教家であり書道家でもあった。やさしい幼児的な字を書いているが、この字を書くのに何百枚と下書きして、そのうちの一枚が我々の目に留まるのである。この字体と仏教の教えが実にマッチングしていて、何とも言えない味があるのである。


「一寸千貫」という言葉は、TKCの創始者である飯塚毅を思い出させる。国家権力(税務当局)を相手に法の正義を貫き通したあの飯塚事件の当事者である。我々も税務会計の専門家である。一人一人は小さな一寸角にすぎないが、法の精神を学び、びくともしない正義の心で業務に対処していれば、何も恐れることはないのである。

4月



H29.4.4(4.3事務所にて)
            

 本日、3名の新入職員が入所した。ぜひ頑張ってもらいたい。

そこで、幸せな社会人となるための秘訣をお伝えしたい。
日々反省をすること。

 今日やったことが具体的にどういうことなのかをきちんと振り返る。その中から何かしら学びがあるので、その学びをメモ書きしていただきたい。最初の3か月は、何を学び何を得たか報告していただきたい。
その日やるべきことを明確にする。

 前日、もしくは当日の朝、今日やるべきことを明確にする習慣をつけてほしい。私は、原始的な方法であるが、ノートにやるべきことを明記して、終了したら赤ペンで消していく、というやり方をしている。
手本となる先輩を見つける。

 易経で、20代は見龍の段階。その時に必要なことは「大人(たいじん)を見るによろし」と易経では教えている。立派な大人を模範としなさい。事務所の中にも模範となるような先輩方はたくさんいるので、ぜひ「この人のようになりたい!」を見つけて下さい。

初めの1年間はこれを励行していただくと、それが習慣になる。

 

 それと合わせてもう一つ大切なことがある。

それは、長期的な目標と人生の目標を持つこと。皆さん、税理士になりたくて今勉強されているだろう。税理士試験に合格することは短期的な目標であり、中期的な目標だ。どういう人生を歩んでいきたいか、今のうちから明確にしておくと良いだろう。

 私は28歳の時に60歳までの人生目標を立てた。

・もともと人前で話せる人間ではなくあがり症だったので、30歳までに人前で話せる人間になりたい。

40歳までに本を書きたい。

50歳までに大学で教えたい。

 おかげさまで全て実現している。目標を達成することは誰でもができることなのだが、それを多くの人はやらないだけだ。世の中で本当の成功者は3%。残りの97%は残念ながら悶々とした人生を送っている。そんな人生を送るのか、輝かしい人生を送るのかは、一人ひとりが決めること。皆さんにはフレッシュな気持ちの中で、人生とは何か、自分はどういう人生を歩んでいきたいか、確固たるものを持ってもらいたいと願っている。


2月



H29.2.27(2.27事務所にて)
       

私は常々「淡々と生きよ」と言っている。

「淡々と生きる」ということにピッタリの詩を見つけた。坂村真民の詩だ。彼は仏教家であり詩人である。とても解りやすいので、皆さんにも読んでもらいたい。


サラリと流してゆかん 川のごとく

サラリと忘れてゆかん 風のごとく

サラリと生きてゆかん 雲のごとく


 この「サラリ」が「淡々」なのだ。サラリと流していこう、サラリと忘れていこう、サラリと生きていこう。良い詩ではないか。正に私の言っている「淡々と生きよ」ということである。ただ、サラリと生きることは、ある程度年をとってからでないとできない。2030代では、サラリと生きていくのに無理がある。やはり人生経験がないとサラリと生きられない。私も50歳を過ぎて、仏教を少しかじったりした時に思った。人生、そういった下地がないとなかなかそういう思いにはならない。4050歳になった方は、「淡々と生きる」ということはどういうことなのかを学んでもらいたい。


渋沢栄一の好きな言葉に「天意は夕陽を重んじ、人間は晩晴を貴ぶ」とある。

天は、沈んでいく夕陽の輝きを重んじて、人間は、晩晴を貴ぶ。70歳を過ぎて晴れがましく暮らせることが最高なのだ。私は幸せなことに、これに近いことができていると感じる。人生、浮き沈みはあるのだろうが、晩年こそが晴れ晴れとした生き方をすべきだ。そのために若年のうちにそれを目指しておくことが大事なのである。淡々と生きて晩晴を貴ぶことが人間の生き方としては最高なのではないか。


1月



H29.1.13(1.10事務所にて)
     

立腰(りつよう)

 朝礼や週次MTの時に「おはようございます」の挨拶の前に、司会者は「立腰」!と言って背筋を伸ばしてから始めてほしい。立腰によって背筋が伸び、心が引き締まり、考え方も正しくなる。一日一回は引き締めることが大事であり、それには朝が最適だ。姿勢のしっかりした人に悪人はいない。人間はややもすると少しダラダラしたりするが、毎朝一回のわずか数分で気持ちが引き締まる。皆さんも毎朝の習慣にしていただきたい。

~立腰の姿勢~

お尻を出す。腰骨を前に出す。背筋を伸ばす。顎を引く。